関西現代俳句協会

2007年 8月のエッセイ

「蚤」  

増田 耿子

           

 ノミという昆虫がいる。ペットブームの昨今、犬ノミ、猫ノミの類は、よく耳にするのだが、人ノミの存在を確認することは、現在のわが國では難しい。

 辞典によると『蚤はノミ目(隠翅類)の昆虫の総称。翅を欠く。いずれも体長二〜三ミリメートルで、哺乳類・鳥類に外部寄生し、血液を吸う。体は側扁し、一見滑らかで濃赤褐色。後脚が発達してよく跳ぶ。雌は雄より大形。ヒトノミ、イヌノミ、ネコノミ、ヤマトネズミノミ、など世界に千種以上が分布。ペストなどの伝染病を媒介することがある。』となっている。

 これからお話しするのは、この中の「人ノミ」についてである。

 あれは、太平洋戦争最末期の八月初めの或る日で合った。当時、わたしは大阪市内南部の旧制中学の一年。三歳下の弟は小学校三年で金剛山系の山寺に学童集団疎開していた。しかし栄養失調症にかかり、七月中旬、自宅療養の身となっていた。そこで、弟の残して来た夜具などを引きあげる必要に迫られ、母とわたしは米軍の空爆という危険と猛暑の中、のろのろ電車と徒歩で山奥の寺へ出向いて行った。

 和尚の奥さんは笑顔の優しい人であったが、引き取るべき荷物が置いてる納戸に、母は絶対に入るな、私だけが入るようにと不思議な指示を出したのである。訝しく思いながら案内された納戸は、どっしりとした幅広の板戸で固く閉ざされていた。

 太陽はすでに西に傾き、蝉の声だけが海鳴りのようにあたりを包んでいた。奥さんに促されて重い板戸を二十センチばかり開けた途端、畳敷きの納戸に西日が差し込んで、何やら、きらきら輝くものが無数に跳ねているではないか。赤褐色の光の粒は蚤。まさに蚤の大群で合った。映像で観る大合戦のの俯瞰図さながらのシーンに、わたしがただ呆然としていると、背後から「早くしないと!」と奥さんの呼び声。我に返ったわたしが板戸を強くこじ開けると大群は、裂いた袋からなだれ落ちる米粒のように押し寄せてきた。急ぎで中に入り、弟の荷物という布団袋一個を押し転がせて庭に運び出したのを覚えている。戦闘帽に國防色(カーキ色)の学生服、ゲートル(脚絆?)姿のわたしは、無惨にも襲いかかる蚤の大群を、埃をはたくように、はたまた踊り狂うように振い落していたのである。

 蚤は一体、何匹発生していたのだろう。百万?千万? 悪夢のような体験は、今となってみると美しい光景として心の底に張りついているのは何故だろうか。

 今年もまた八月がやってきた。あの十二歳の少年も齢を重ねたものだ。戦時下の数々の忌わしい記憶の片隅に、わたしはこの蚤の大群を、いつまでも輝かせていたいと思っている。

   陽はたぎりゐし大群の蚤の綺羅    耿子

以上