関西現代俳句協会

2007年 4月のエッセイ

「比良八講のころ」

         上森 敦代

 

 「冴え返る」…暖冬といわれた冬だったが、それでも春は一直線にはやってこない。例年のように卒業式の日は冷え込んだ。当日は、用意しておいたスプリングコートではなく、ウールのコートを引っ張り出して着ることになった。卒業生を送り出すため校門のところで待っている父母の列のどこからともなく「やっぱり八講さんが終るまではあかんて言うもんね」という囁きが聞こえてきた。

…「八講さんが終るまでは油断できんなあ。比良八講荒れじまいって言うけど、そのとおりやな。」…これは、その日高校を卒業する長男の成長を楽しみにしていた亡き母の口癖でもあった。

 この「八講さん」とは、比良八講のことで三月二十六日頃に行われる。その起こりは比叡山の僧が、比良山中で行っていた法華八講という天台宗の試験を兼ねた大切な法要であったといわれる。現在では、僧侶や修験者が湖上に繰り出し、比良山系から採取した法水を琵琶湖の湖面に注ぎ、物故者を供養し、湖上安全を祈願する湖国に春を告げる行事として知られている。そして、この比良八講が終るまでは、天候はまだ不安定で、寒の戻りがあり気を緩めてはならないと、琵琶湖の周辺に住む人たちの間に言い伝えられてきたのである。

 また、この時期に比良山脈から吹き降ろす強風・比良颪は比良八荒と名づけられ、海上交通に携わる人たちや、漁業関係者などに恐れられてきた。

  恋人の許へ通う娘の船が強風のため琵琶湖で遭難し、その忌日に強風が吹き荒れるのだという民話が、琵琶湖周辺のあちこちで語り継がれている。その一つが、私の住む守山市にもある。

 比良の麓の村に住む八紘山という若い力士に恋焦がれたお満という村娘が、思いを遂げるために、守山・今浜の灯籠崎から対岸の白鬚神社付近まで盥舟を漕いで通い続け、その思いが成就するという百日目の夜に強風にあおられて命を落としたという。 そのお満を供養するための、お満灯籠と名づけられた大きな灯籠が、琵琶湖大橋の西詰めに立てられている。先日、訪ねてみたが、その地から見ると対岸の比良山脈は雪をまとい、大きな壁のように眼前に立ちふさがっている心地である。そこから吹き降ろす風は湖面を渡って、いっそう冷たく頬を挿す。冬の間この冷たい湖面を渡って通い続けたお満という娘の一途さと切なさに思いをはせる。

 梅の盛りの時期にもかかわらず(東京では桜の開花が宣言された日だったが)お満灯籠の周辺にある白梅も紅梅も、数輪が開花する程度にとどまっていた。

  「琵琶湖哀歌」に唄われている四高ボート部遭難事件も、この強風によるものであると言われている。春先に、比良比叡の麓を走る湖西線が強風のため運行中止になっていることを、テレビ画面の速報で目にされている方も少なくないであろう。その文字の向こうに、雪を頂いた山並と、鉛色の湖面と比良颪を想い描くことが出来る。この時期の比良山脈は、本当に美しい。

 比良八講からひと月もたたぬ間に、桜前線は湖国を駆け抜けてゆく。

以上

(本文及び俳句の表現で、ふりがな表示が括弧書きになっているのは、インターネット・システムの制約のためです。ご了解ください・・・事務局)