2006年7月のエッセイ「ノラの国」 出口善子 ノルウエーは白夜だった。 足袋つぐやノラともならず教師妻 久女 白夜といえば、北欧のイメージを美しく響かせるが、街中は、道路を初めビルは勿論、地下鉄まで、いたるところで工事中。トントン、カンカン、ごうこうと騒々しい。観光シーズンなのにどうして工事ばかりしているのかが不審で尋ねると、他の季節は夜が長く寒くて工事が出来ないからだ、と答は剥き出しのリアリズムであった。白夜の国……、異邦人の描く身勝手な甘いイメージは、一蹴されてしまった。 イプセンの戯曲にグリーグが作曲した「ペール・ギュント」も、夢を追いかけて世界中を旅した男の話である。私には、現実の寒く長い夜から逃れようとして、余所の国々に憧れたのではないかと思える。 この国では、思考する女は家を捨て、野心を抱く男は国を捨てることになりそうだ。 春分・秋分が一日の昼夜を等分し、季節に裏切られることのない日本の国で、俳句という短い詩型が発達したのも、自然環境のなせる技ではなかったか。冒頭に挙げた久女の句は、自立した精神の持ち主でありながら、家を捨てることなく、ささやかな家事の日常に甘んじている状態を、十七文字に見事に凝縮して表現している。白夜の国の過酷な自然支配の下なら、上五がもっと違った字句になっていたかもしれない。 北欧の旅で得た一句。最新の「角川俳句大歳時記」に採用された。 (本文及び俳句の表現で、ふりがな表示が括弧書きになっているのは、インターネット・システムの制約のためです。ご了解ください・・・事務局) |