関西現代俳句協会

2006年1月のエッセイ

「わが家の門松」 和田悟朗  

 ぼくがいま住んでいる奈良県生駒市のこのあたりは、矢田丘陵を開拓した住宅地だが、自治会の申し合わせとして、宅地の周囲いっぱいに塀や垣根を立てるのではなく、道路から50センチほど内側に立てようという約束になっている。だから大抵の家は塀や垣根の外側にごく低く植木を並べて植えている。ぼくの家もその例に倣って30センチほどの高さにさつきを並べて植えている。

 わが家がここに越して来て10年になる。まだ1年目のころ、ふと気が付くと、偶然にも正面の門の右1メートルと左5メートルほどの位置のさつきの根元に、それぞれ爪楊枝ぐらいの発芽したばかりの松が生えていた。ぼくはこの2本の松を引越し記念として、抜くことなく育ててやろうと思った。

 松の生長は早い。すぐにさつきの上に頭を出し、1年ごとに枝分かれを繰り返し、10年近くなると、右の松は5メートルほどの黒松に、左の松は3メートルほどの赤松(?)になり、道を歩く人の邪魔にもなりそうだった。

 庭園の松はすべて手入れされているが、ぼくの方針は一切枝を刈らず、天然の松としてゆるやかな枝ぶりを期待していた。しかし、住宅街の真ん中では、東海道五十三次の松並木じゃあるまいし、来客は誰もが、この松は邪魔やから切りなさい、という。  そこでぼくも固い決心を崩し、枝を切ることにした。一昨年12月、ぼくの家での句会のあと、ご婦人たちは鋏持参で正月の門松にするといって沢山枝を切って帰った。結果、実にあわれな姿となり果てた。庭松でもなく、自然松でもなく。

 ところが驚いたことに、枝の途中で切られた箇所から、指を広げたように何本もの新しい芽が吹き出し、松がまるで自発的に盆栽の松めいた形になろうとしているように思われる。

 とにかくわが家の門の右と左に立っている2本の松は、こうして不思議な姿のまま

11年めに入ろうとしている。そこでぼくはこの松をそのまま門松とすることにした。大晦日に、それぞれ高さ1メートルほどのところの幹に半紙を巻き付けその上を紅白の水引で縛った。ちょっと恥ずかしいが、これで松飾りとして正月を越してみよう。

 遠きより現世は来つつ松の芯      悟朗

 星までのはるかな空虚松の芯       〃

                           句集『人間律』より

以上

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