連載)岡村知昭「草城かくれもあらず」

連載 岡村知昭
草城かくれもあらず(1)

 日野草城かくれもあらず湯の澄に 『旦暮』

 日野草城は、今ここにいる。

 今日このとき、この瞬間。熱くて澄み切っている風呂の湯に久しぶりに浸かっているこの身体を、しみじみと見つめてやまないこのひととき。妻子を慈しみ、日々の仕事に励み、そして俳句に対して全力で取り組んできた。そんなこれまでのわが人生に、思いを馳せずにはいられない、そんなひととき。頑健さや美しさには乏しいかもしれない。年齢を積み重ねた分の身体の疲れと衰えは「湯の澄」越しからでも突きつけられてくる。だがそれは、ひとりの社会人として生きてきた日野克修(本名)、俳人としてさまざまな毀誉褒貶に立ち向かってきた「日野草城」。ふたつの人生を懸命に生きてきたことの、なによりの証だ。私はここにいる、「日野草城」は確かに今、ここにいる。そのことを「湯の澄」越しに確かめ直し、掴み取ろうとしている瞬間こそ、今このときだ。

 風呂に浸かる自分自身の身体を通じて、これまでとこれからを見つめ直すモチーフは、この一句の前にも後にも、男女問わず、よくありそうだ。詠む側としても読む側としても、共感を得やすいモチーフだ。草城が若き日から積み上げてきた技と経験をもってすれば、このモチーフに対しての的確な季語を選び取って、一句を成り立たせるのは難しくないだろう。だが、草城が「湯の澄」に取り合わせたのは「日野草城」そのもの。この一句に作者本人の名前を登場させるなど、俳句の創作手法として、禁じ手同然とされてきたはず(一茶と虚子にそのような作品はあるとしても)。そのような指摘を受ける可能性を十分理解しながら、草城は「日野草城」とフルネームを全面に押し出して、この一句を成り立たせる。草城にとって、「湯の澄」に浸かる身体の持ち主は、一個人一社会人の日野克修氏ではなく、断固として俳人「日野草城」でなければならかなった。「湯の澄」にいる今このときの姿と感慨を、より鮮やかに際立たせるためには、どんな季語よりも「日野草城」の身体そのものが、この一句においてはふさわしかったのだ。

 句集『旦暮』(1949年)に収められたこの一句は、前後の次の2句に挟まれている。

 昼風呂に久しくは居る梅雨を侘び

 昼の湯にまさやかにゐてうらさびし

 「梅雨を侘び」「うらさびし」とのそれぞれの下五には、昼風呂のひとときに心を落ち着かせながら、それでも不安を隠しきれない姿が浮かび上がってくる。梅雨の昼間の湿気とうすぐらさは、「湯の澄」にいる草城の心を、決して引き立たせてはくれなかっただろう。このときすでに、草城は病の床にあった。家庭人、社会人としての「日野克修」の人生設計が、病によって大きく変更を余儀なくされるのを自覚せざるを得なかったからこそ、「日野草城」として生きる覚悟を、自分自身の身体を見つめ直しながら、確かなものとしていこうと懸命だったのだ。


岡村 知昭(おかむら ともあき)
1973年滋賀県生まれ。「豈」「狼」「蛮」所属。現代俳句協会会員。句集『然るべく』(草原詩社)、共著『俳コレ』(邑書林)