吟行リレー)曾根毅「四天王寺の巨人」

吟行リレー 曾根毅
四天王寺の巨人

 2002年春、四天王寺本坊(大阪市天王寺区)で行われていた「花曜」の四天王寺句会で鈴木六林男先生と初対面しました。句会前に進み出てご挨拶したところ、先生はこちらに向き直り、畳に手をついて丁寧に挨拶を返して下さいました。当時私は28歳、俳句を始めて2年目。出席者の中では特に若く、鈴木先生との年齢差は55歳。関東在住だった一年前に、若い参加者の多い東京青山での超結社句会に参加して俳句の面白さに惹かれ、関西に引越したタイミングで「花曜」に入会することにしました。

 私は幼少の頃から音楽が趣味で、小説などを読むことはあっても、創作でものを書くというような文芸を趣味としたことはありませんでした。自力での上達は難しいだろうと思い、「俳句年鑑」やアンソロジー本などで様々な結社や俳人の作品を見比べて吟味し、現代かな遣いで戦争や社会など大きな対象を詠む鈴木六林男に注目、師事することに決めました。当時のインタビュー記事の中で鈴木先生は「戦場で、あっち向いて桜かな、こっち向いて菫かなと言っていたら殺られてしまう。挨拶抜き(無季俳句)でやっています」と語っておられました。私も、冷蔵庫が歳時記に載っているからという理由で夏に分類されるというような、俳句でしか通用しないルールに言葉が縛られることに疑問を感じていて、無季の地続きに有季があるという鈴木先生のスタンスに共感したことが決め手になりました。

 初対面の句会で私は「立ち上がるときの悲しき巨人かな」という句を提出しました。挨拶抜きという先生に対する挨拶句のつもりでした。当日の入選に入ったので気をよくして、後日「花曜」に投稿したのですが、この句は採用されませんでした。なぜだろうと考えて、まずは物で心情を表すという俳句の基本を習得しなさいという教えではないかと思い直しました。数か月後、句会帰りに先生から「恰好ついてきたなあ」とお声掛けいただきました。以後、句会帰りに天王寺や大阪上本町の書店に同行したり、飲み屋に連れていただく機会が増え、四天王寺は私の俳句のホームグランドになりました。2004年12月に鈴木先生が亡くなられて、私はその後、香川や奈良、千葉に仕事で移り住んだ後、再び大阪で仕事をすることになり、それから現在まで天王寺区に居住しています。朝の静かな四天王寺の境内を散歩するのが気に入っていてお薦め。近くには真田幸村終焉の地安居神社や天王寺七坂、カフェや食事処も多く、天王寺公園や動物園、あべのハルカスにも近く吟行に適したエリアです。

立ち上がるときの悲しき巨人かな  曾根毅


曾根 毅(そね つよし)
「花曜」「光芒」「LOTUS」を経て無所属。第四回芝不器男俳句新人賞、第八回俳句四季新人賞。句集『花修』(深夜叢書社・2015年)、『十翼』(東京四季出版・2026年)。現代俳句協会評議員、関西現代俳句協会副会長。