会員の著作)久保純夫『識閾』


句集『識閾』 久保純夫 儒艮の会 2025.12.14
【短評 田中信克】

 少し燻んだ灰色の表紙に、濃い色の文字で大きく『識閾』(しきいき)と書かれている。その左側には、大きな雀蜂の巣の画像。枝に固着した塊からは、幾つもの幼虫の白い體が覗いている。それは、不穏な雰囲気を漂わせつつ閑かに我々の意識と対峙する。静謐でしかもどこか苛立つような不思議な感覚。それが読者を包んでゆく。

 頁を捲って作品を見る。俳句は上下二段に別れ、五句ずつがまとまりになって並べられている。各群の右端下には一つの言葉が印刷され、それがその五句の「詠題」となっている。季語や日用語、色名や身体の部位、概念や観念を示す言葉など様々なのだが、それらの詠題(=テーマ)の群れは、一つ一つがそれぞれ5句の世界を牽引・包摂しつつ、文化や歴史、自然や風土などの総体的な世界を顕現させてゆく。久保純夫の第16句集『識閾』は、このように一見して独特、そして不思議な味わいの句集である。

 全体は5章から成っている。初めに句集名にもなった「識閾」という章。その後に「青龍」「朱雀」「白虎」「玄武」と続く。「青龍」以下は、中国神話の四神の名であり、それぞれが春夏秋冬を表している。各草には各季節の季語が集まっていて、読んでいると、あたかも歳時記や博物誌を紐解いているような錯覚に陥ってしまう。初章の「識閾」は無季の章で、先述のように、日常の言葉や社会性を示す抽象語などが集められているが、これはこれで現代事典を読むような、そんな感覚を醸し出す。つまり、この句集は、一種の百科全書でもあり、壮大な図書館の蔵書の中に身を置くような感覚を読者に与えるのである。


田中 信克(たなか のぶかつ)
1962年、東京都生まれ。「海原」同人、「青山俳句工場」、「豆の木」、「儒艮」所属。現代俳句協会会員。