連載)岡田耕治「俳句物語 4」

俳句物語 4 岡田耕治

永き日の悦ちゃんと居る身の昔  森谷一成「香天」より

 ぼくが住む町に近づくと、車窓の先に海が見えてくる。それまではスマホを見ているのだが、海の見えるあたりに差し掛かると、顔を上げて水平線を見つめるのが日課になっている。日が長くなるこの季節は、ちょうど退勤の時刻に、海に沈む夕焼が見える。

 今日、ぼくが見た夕日は、海一面を紅く染め上げ、中学時代に悦ちゃんと二人で見た、あの日の夕日と同じグラデーションだと感じた。

 悦ちゃんとは、交換日記をしていた。放課後、放送室兼放送部の部室にぼくが日記を置き、翌日また取りに行く。彼女は幼くして母親を亡くし、どこかのんびりした父親と二人暮らし。最近、その父親に再婚話が持ち上がっていると聞いた。ある時、開いた日記の2ページいっぱいに、ただぼくの名前だけが、びっしりと書き連ねてあって、驚いた。

 文化発表会が終わった日、たまたま一緒に帰ることになり、そのまま海を見に行った。そのときも、今日と同じように、海も空も茜色に染まる夕暮れだった。二人並んでベンチに座り、ただ沈んでいく夕日を見ているだけで、お互いのことは何も話さなかった。

 それぞれ別の高校に進学し、高校生になってから悦ちゃんと二度会った。二度目も海を見に行ったけれど、次に会う約束はしなかった。あれはもう30年以上も前のことになるだろうか。

 ふと、自分が降りる駅の一つ手前で、一人の女性が電車を降り、夕日のホームを歩いていくのが見えた。その一瞬の横顔と目差しに、「悦ちゃんではないか」と直感した。すぐに電車が発車してしまい、確かめる術はなかったが、あれはきっと悦ちゃんにちがいない。なぜなら、ぼくのてのひらに、中学生の頃に握り合った、あの小さな手の温もりが蘇ってきたから。


岡田 耕治(おかだ こうじ)
1954年大阪生まれ。中学生から俳句を始め、鈴木六林男に師事。編集長として「花曜」終刊後、「香天」創刊・代表。関西現代俳句協会会長。

俳句物語について
「俳句物語」は、作者の岡田耕治が選んだ一句の魅力をさらに深く、立体的に味わっていただくために創作した物語です。一句から心に浮かんだ情景を自由に綴った創作で、短編小説やショートショートとも言える形式を取りながらも、その目的はあくまでも一句を味わうことにあります。最新の「俳句物語」は関西現代俳句協会のメールマガジンで、これまでの作品は同協会のウェブページでご覧いただけます。よろしければ、俳句とともにお楽しみ下さい。