特集「乙女ひととせ」の世界)仮屋賢一「ライトに肯い、みんなで面白がる」

鑑賞 仮屋賢一
ライトに肯い、みんなで面白がる

 収められている作品は、その出来事があたかもなんでもないことであるかのような雰囲気を纏っているようで、端的にいうとライトさが漂う。そう表現しようとしているというよりは、それらを俳句作品として表現できる喜び、読む喜び、読まれる喜び、語り合う喜び、いってみれば、「俳句って、楽しい」そんなキラキラした感情が先立つことで、日常のあらゆる出来事が肯定されるだけでなく、自己肯定もとても強いものとなり、それが「ライト」という印象となって立ち現れているような、そんな感覚。

靴紐を二重に結び入試の日  奥田祐子

 ある種勝負の日にある、願掛けめいた気持ちの引き締め、緊張や不安といった感情。あまり気を衒うことなく、ストレートに物に託すという描き方によって、どこか信頼感みたいなものも立ち現れる。どこか気持ちの躍っているところもあるのかもしれない、とさえ思わせる。

C班のカレーしゃばしゃば夏野原  田邉恭子

 きっとこのカレーは、しゃばしゃばにならないのが正解なのだろうけれども、他の班の人も一緒になって騒いでいそうで、とにかく楽しそう。大風呂敷を広げるような季語の配置に、無邪気さすら感じる。

寄せ書きはほとんど余白風薫る  泉優梨

 どこか寂しげなものでもあるはずなのに、清々しい。白が明るく、眩しい。ほとんど余白だけれども、心はみたされている。

白木蓮ゆっくりほぐすふくらはぎ  田邉恭子

 これも、心地よい眩しさにみたされる。ふくらはぎを労り、それまでの働きや活動を、身体感覚をもってして肯定する。

髪切りし理由などなし星涼し  山根直子

秘密ひとつ暴かれながら剥く白桃  北なづ菜

青蜜柑また下手くそな別れかた  松尾唯花

 恋愛の絡んだ人間関係がモティーフとなっている作品も少なくないが、恋愛を匂わせているかどうかが定かでない塩梅の作品も多く見受けられるのはこの作品集の特徴だろう。作者本人が肯定しているように思えるからこそ、読者も安心して読める。急に髪を切ると、「何かあったの?」と大抵誰かが言ってくる。この作品のサバサバとした言い切りっぷりは、そんなやりとりがあることもむしろ楽しんでいるんじゃないかとさえ思わせる。「秘密ひとつ」の句は、白桃の繊細さが際立つようで、同時に図太さも見えてくるよう。傷ついているようで、結局はその場を楽しく過ごしているようにも思える。「青蜜柑」の句も、後悔というよりは、自分自身に対して、ちょっと呆れつつも愛おしく思っているようで、微笑ましい。「星涼し」「白桃」「青蜜柑」という季語の選択、そこに巧さもありながら、自然で素直な印象があり、だからこそ、そこにある感情も、必要以上に深刻なものとして読まされることがない。

博打せぬ父の提げたる福袋  粂田完菜

 ライトな空気感の句座から生まれるこういう作品もまた興味深い。他者に眼を向けたとき、肯定の感覚が不思議な違和を生む。それが面白い。こういった作品も他の作品と自然にとけあっているのも、この作品集の大きな特徴といえよう。

三人は二人と一人冬北斗  山辺祥予

 肯定の眼差しが捉える人間関係の距離感。一般論ではなく、この三人にとっての、なんだかんだいまこの場ではそれが一番心地よい距離感だよね、といったような雰囲気がある。見た目で言葉遊びをしているような愉快さも、この作品をあたたかく包み込んでいる。

 この作品集の「ライトさ」は、単純な明るさではない。自分の身に起きたことも、他者とのあいだに生まれる違和も、一抹の寂しさも、いったん受け止め、面白がることのできる眼差しの明るさなのだと思う。同志社女子大学の俳句の授業を契機として発足したコミュニティだというが、皆でこのようなことを面白がれる、そんな空気が大切にされ、育て上げられてきたのだろう。そんな肯定感の強い空間に俳句の眼がそっと添えられ、そしてその眼がひらくことで、大きな歓びがそこに生まれる、その現場がこの作品集なのだと思う。


仮屋 賢一(かりや けんいち)
俳句雑誌「奎」代表。『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』『安井浩司読本Ⅱ』共著。2026年度よりNHKラジオ第1「関西ラジオワイド」内「関西街角再発見」案内人。