連載)堤信乃「あの海が、言葉になるまで」

連載 堤信乃
1.あの海が、言葉になるまで

 十年前。あの日に見た光景を、私は今でも忘れられずにいる。

 透き通った青い海、寄せては返す白い波。目前には、夏の陽射しを受けて輝く水平線が広がる。痛みすら感じるほど眩しい光の向こうに、遠く離れた日本があるのではないか。そう錯覚させるほどの輝きだった。

 中学二年生の春休み、私は学校の研修でニュージーランドを訪れた。現地で十日間ホームステイをするというもので、私は親友と、ある家族のもとでお世話になった。部屋へと続く廊下には世界各国の品々が並び、これまで何人もの留学生を迎え入れてきたことが伝わってくる。不思議と、「ここならやっていける」と思えた。

 しかし、その気持ちは長くは続かなかった。伝えたいことはあっても、英語にできない。相手の言葉も聞き取れず、曖昧に笑うしかない。

 そんな私に声をかけてくれたのは、ホストマザーだった。「ここでは私が、あなたのママよ」彼女はよく、そう言っては私を抱きしめた。食事中、彼女は幼子をあやすような甘く穏やかな声で話しかけ、次々と話を振る。その瞳は、まるで私を家族と思っているかのようだった。しかし、どれだけ彼女が家族として受け入れようとしてくれても、所詮は赤の他人としか思えなかった私には、その振る舞いがかえって煩わしく映った。子ども扱いされているように思え、どこか苛立ちを覚えたのだ。やがて会話を避けるようになり、食事を済ませると早々に部屋へ戻ることが増えた。

 そんな折に連れて行ってくれたのが、あの海だった。

 浜辺では家族連れやカップルが、思い思いに休日を楽しんでいる。親友はホストシスターと肩を並べ、波打ち際で笑い合いながら写真を撮っていた。時折こちらを振り返って手を振り、私を呼ぶ。少し離れた場所から微笑ましく二人を見守っていたホストマザーも、私の肩にそっと触れ、輪に入るよう促した。それでも、私は動かなかった。どうして皆、そんなに笑っていられるのだろう――。そんなことばかり考えては、ひとり海を見つめ、ただ時間が過ぎるのを待っていた。

 帰国して数日後。私は一通の手紙を開けた。別れ際にホストマザーから受け取ったものだ。丸みを帯びた筆記体を指でなぞりながら、言葉を読み解いていく。すると、ある一言が目に留まった。

「もっとあなたと、話がしたかった」

 頭の隅に追いやっていた十日間の記憶が、一気に蘇る。心を固く閉ざした私に、何度も声をかけてくれたこと。海へ連れて行ってくれたこと。それらは全て、私と打ち解けたいという、彼女なりの意思表示だったのかもしれない。当時はしつこいと感じた彼女の行動には、優しさがあったのだ。それに気づかず、私は差し伸べられた手を自ら振り払ってしまった。

 ――もっと話をすればよかった。もっと歩み寄ればよかった。時間が経てば経つほど、その想いは一層強くなるばかりだった。そしていつしか、あの日のことを言葉にしたいと思うようになった。

 チャンスが巡ってきたのは、中学三年生の夏休みだった。国語の課題プリントの中に、「海」を題材とした詩の創作があった。その瞬間、迷うことなくあの日の海が思い浮かんだ。それから私は、何日もノートに向かった。海の香り、街の喧騒、孤独、後悔。あの日の記憶を一つひとつ掬いながら、ゆっくりと言葉を重ねる。その過程は楽しくもあり、苦しくもあった。書いては破り、また書き直すうちに、心の奥深くにあった想いが少しずつ形になっていく。苦しさの中には、そんな喜びが確かにあった。これが、私にとって「言葉を紡ぐ」という営みと初めて向き合った瞬間だった。

 書き上げた詩は、彼女に届くことはない。年月を重ねた今、彼女が私を覚えているのかどうかもわからない。あのときの優しさの真意を聞く術もない。

 それでも私は、折に触れてあの日の海を思い出す。言葉にならない想いを、忘れたくない景色を、言葉にして残す。あの日の海は、今も私にとって「言葉を紡ぐ」ことの原点であり続けている。

 色褪せた手紙真夏の海風に  堤 信乃


堤 信乃(つつみ しの)
二〇〇一年 三重県伊勢市出身、京都府在住。同志社女子大学で塩見恵介先生の授業を受講したことを機に作句を開始。第三十三回伊藤園お~いお茶新俳句大賞佳作特別賞受賞。「まるたけ」所属。関西現代俳句協会会員。