連載)仲田陽子の京都歳時記

連載 仲田陽子の京都歳時記
祇園祭とぶぶ漬け
夏越の祓いで半年分の穢れを祓ったら〜七月。京都の四条通り界隈は一気に祇園祭一色になり、あちらこちらから祇園囃子が聞こえてくる。コンチキチンの音色を聞くと、氏子でもないのに浴衣なんぞを着て、宵山へ繰り出したくなるから不思議。
京都では宵山(16日)あたりに雷を伴う激しい夕立が降れば梅雨が明けると伝えられてきた。だが今年は鉾立(10日)の前に梅雨が明けてしまったから大変。日中の気温は連日38℃を超え、夜も30℃を下まわらない熱帯夜。夕方から歩行者天国となる鉾町の人いきれを想像するだけで体調を崩しそうだ。その昔、辛口ファッション評論家のピーコ氏が「お洒落は我慢!」と名言を遺された。年々増え続ける宵山の人出は、今年三十八万人を記録したとか、まさに祇園祭に浴衣を着るのは、お洒落の極み・・・ということになるだろう。
いつ頃から、誰が言い出したのか知らないが、京都人のイメージといえば〜何かいうたら「いけず」。「ぶぶ漬け(お茶漬け)でもどうどすか?」にはじまり、心にもないことを云う性格のひん曲がった人種のように、すっかり定着してしまったように思う。「いけず」も売り物になるなら、何でもおもしろおかしく売りまっせ〜とばかりに、商魂逞しい人が売ったのかもしれないが、それらは「いけず」の洗練さに欠けていると思う。本来「いけず」と言われているものは、相手を嫌な気持ちにさせずに、やんわり本意を伝える気配りの類であったはず。
礼儀作法にうるさい京都人の暗黙の諒解として、帰ってほしいと思われる前に帰るのが一般常識で、必要以上に他人の時間を奪わないのが京都流。時計などを見て、いま気がついたふりをして、
「いや、もうこんな時間やわ、そろそろ失礼さしてもらいます」
「そんなこと言わんと、ゆっくりしていって」
と引き止められたとしても(関係性にもよるが)、それはあくまでオモテナシの一環、真に受けてはいけない。
「また今度、ゆっくり寄せてもらいます」と、さっさとおいとまするのが良い。
他府県の人から、ぶぶ漬けフレーズを本当に使うのか?と聞かれたことが何度かある。私は自宅で句会を開くことがあるが、そもそも帰って欲しい・・・と思うような人を家に招かないようにしている。稀に二度目はないな・・・と思う人が混じることがある。二度と家に招かないのだから「また今度」とは言わずにお見送りしている。
というわけで、私はぶぶ漬けを客人におすすめしたことは一度もない。
ぶぶ漬けや適当に盛る鱧の皮 陽子
仲田 陽子(なかた ようこ)
1969年生まれ、京都市在住。「寒雷」を経て無所属。「ユプシロン」「義仲寺連句会」参加。現代俳句協会会員。


