関西現代俳句協会

■2023年1月 青年部連載エッセイ

私の極愛句集(7)
堀井春一郎全句集 曳白

吉田竜宇

 今、この句集の奥付をめくると、古本屋の半札がまだ残っていて、釧路市白金町とある。そのまま北の土地に残っていた方が、この本には似合うのだが、欲しかったものと思いがけず旅先に出会ったので、つい連れてきてしまった。全体としては、耽美的露悪趣味といった風情で、勘弁してくれと思わないでもなく、体調の悪い日などには読めない。すれっからしになりたくて放浪するが、自意識がどうにも捨てがたくついて回り、不遇を嘆いてみたり、女に甘えてみたりする。情痴俳句とののしられたようだが、ゆえなきこととは言えない。しかし、それを言っちゃあおしまいよという句を吐き捨てるなかで、ときおり、においたつものがあり、ひょっとしてすべて術中かと我に返る。

    山百合や母には薄暮父に夜

「黄昏を母に献じ、父のためには夜のくだちを贈らうといふ子の心、殊に父については、一日の果ての死の深夜を餞らうとする真意を、父母すら解し得まい。」(塚本邦雄「百句燦燦」)

 この解説に付け加えることも特にないが、塚本にして結局のところ「真意」は解かれず、投げ入れられた謎は謎であるまま残る。わかってしま うということがないから、飽きるということもまたない。

    枇杷腐る大正琴の世は過ぎて
    兜蟲汨羅のほとりにて消ゆる
    暗紅の蚊帳より出でて戻らざる

 過ぎてしまったことを嘆いているが、実は、嘆くというそれ自体が官能であり、過ぎていったそのものは無情に切り捨てられている。枇杷もカブトムシも蚊帳も、もう眼中にない。ないのだが、にもかかわらず、やはり影響というのはあって、それはにおいというべきものが、わかちがたくまつわるからだ。なお汨羅とは河の名であり、中国最初の詩人が身を投げたという。

    冬鳩の老けごゑ宝石筥からっぽ
    生年月日とはくちなしの饐えし花
    七夕や下界に萬の女と住む
    海よ燕の屍を見て返す男の歩
    曼殊沙華そしらぬ顔をして滅ぶ
    ひぐらしを乳のあたりに聴きいたり
    雲間より亡き祖父の咳百日紅
    葛西や末期の鯊のひらひらす
    いま剝ぎし杉のま肌を蠅犯す
    女陰の中に男ほろびて入りゆけり
    蚊遣香必死が能の男女なりし

 また、所収ではないが、この作者には次の句もあり、これもまた異形の句であるのだが、幻想が妙に現実感を持ち、忘れがたい。 

    まぼろしの鶴は乳房を垂れて飛ぶ


私の極愛句集(7)堀井春一郎全句集 曳白

吉田竜宇
関西現代俳句協会青年部・「翔臨」

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