関西現代俳句協会

■2019年11月 青年部連載エッセイ

世界俳句(8)
ベトナム語の俳句
 ― 季語が必要なのか ―

グエン・ヴー・クイン・ニュー


 江戸時代に日本ではじまった俳諧は現在、俳句(五七五のリズムによる短詩)として、今や世界中で俳句作者(俳人)や一般の人々が自由自在にあたらしい表現を追求し、創造をつづけている。

 国際俳句交流協会会長、有馬朗人氏は次のようにいう。

「その作り易さ、意味の読み採り易さ、記憶し易さに依って、日本人のみならず世界中に俳句を作る人々が特に第二次世界大戦後増えてきた。」
(「日本俳句の今」『創立25周年記念シンポジウム 欧州と日本の俳句』(国際俳句交流協会))

 ベトナムでは、1960年代以降、北部はフランス・旧ソ連・中国を経由して、また、中部・南部ではフランス・アメリカ経由で、俳句を含むさまざまな日本文化が導入された。特に2000年代以降、俳句はベトナムの各階層に浸透してきている。国内の高校や大学では俳句についての教育が導入された。

 2007年には、在ホーチミン日本国総領事館(以下「日本総領事館」という)、トゥオイチェー新聞、国家大学ホーチミン市校人文社会科学大学の共催により、ベトナムで最初の俳句大会「日越俳句コンテスト」が開催された。以来2年ごとに開催され続けているが、第1回のコンテストでは、3か月の応募期間内に、ベトナムの全国、つまり南部・中部・北部の各地方から約400人の応募があり、合計約4000句が集まった(日本総領事館による統計データ)。これは予想以上の応募数だったので、とても驚いた。

 考えてみれば、日頃から日本とベトナムの関係はとても良く、文化交流が盛んなので、ベトナムの人たちは日本の文化等はすぐに導入したいという傾向が一般的となっている。そういう背景があるため、こんなにも多い応募があったのだろう。

 ベトナムでは、俳句についての深い理解はなくても、自分の気持ちを簡潔に表現できる表現形態に惹かれる人が多い。また、なぜだかベトナムの人たちは、俳句には「禅」の美しい美意識があると思っている。そのため、俳句はあっという間に全国に普及された。近年では特に俳句愛好者が急増している。

Nắng hạn
chú kiến thả giọt nước
hoa dại nở thầm

干ばつに
蟻の水滴
花開く

グエン・タイン・ガー
(第5回日越俳句コンテスト(2015年)作品)

 この句はベトナムにおける俳句の一例である。ベトナム語では1つの単語が1音で発音される。この句は、二・五・四音で構成されている。

 いま、若者から高齢者まで、さまざまな立場の人々が、ベトナム語や日本語で俳句を詠み、鑑賞し、生活のなかで俳句を作り、俳句を味わう喜びを共有しあっている。

 大都市、ホーチミン市では2007年に、首都のハノイでは2009年に俳句クラブがそれぞれ創設された。

 ベトナム人たちは「俳句」について、日本語の五七五のリズムで作られる定型詩という認識はなく、漠然と「世界で最も短い詩」という理解しか持っていなかった。そのため、ベトナム語での俳句の形式は特に定められていなかったのだ。そこで俳句コンテストの審査員は、ベトナム語での俳句の応募規定を「五・七・五音以下とする」とした。この方が俳句の簡潔的効果を表現することができるからだ。

Cầu bảy sắc
cơn gió lắc
trôi theo mưa

 

七つの色の橋
風が揺らすと
雨に流れる

 リー・ビエン・ザオ

 この句は五七五音以下の一例だ。三三三音の句である。多くのベトナム人の俳句愛好者はこの五七五音以下の形式を好む。しかし、日本の伝統的な俳句の五七五音の形式に興味を持つ人もいる。

 2013年の「第四回日越俳句コンテスト」の日本語作品審査員、中野東音氏はその選評で「それぞれの国のもたらす異文化の詩情は、日本の俳句にもさまざまに影響を与え、俳句の世界をさらに豊かにしてくれるものと思います」と書いているが(『同コンテスト冊子』日本総領事館)、確かにそう思う。

 JAL財団主催の「世界こどもハイクコンテスト」に応募される俳句は、不思議とベトナム語での五七五音の句が多い。

Trái đất luôn quay tròn
Bình minh nơi bạn sớm hơn tôi
Gọi tôi dậy, bạn ơi!

地球はぐるぐる回る
あなたの所はもう朝ね
私を起こして

          

 ニン・クイン・ニュー
(第14回 世界こどもハイクコンテスト「朝」2014年 ベトナム大会 大賞作品(http://www.jal-foundation.or.jp/wch/14th/vietnam.html))

 ベトナムの人は皆、日本の「俳句」を読んだ時(それはだいたいが芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」なのだが)、形式も簡素で、使われている言葉も簡単なのに、意味されているところが全くわからない。なのに、今どうして俳句がベトナムで流行っているのか、何が魅力なのか、好奇心が湧いた。

 また、日本の俳句の本当の精神をベトナムに伝えようと思うならば、俳句の形式よりも、重大な本質である「季語」というものを考えるべきではないかと思うようになった。

 そこでベトナム特有の季語を探し、それを使って俳句を作ってみた。

ngày sang ngày
lượm mãi không thôi
từng cánh phượng

火炎樹を
飽きずに拾い
押し花に

 (筆者作・和訳)

 「火炎樹の花」とは北部から中部にかけて、夏を迎えた5月頃、燃えるように美しく咲き誇る花である。ベトナム語では「フォンの花」という。学生にとっては、夏休みに入る前に咲く花で、試験や卒業式の時期でもあるので、いろいろな気持ちが込められる花である。

 また、ベトナムでは今も旧正月があり「テト」と呼ばれている。今年のテトは1月28日であった。

Trẩy hội mùa hoa
người người qua lại
vui như Tết

花祭り
人行き喜び
テトの如

(筆者作・和訳)

 「火炎樹の花」「テト」いずれもベトナム独自の季語といってもよいかもしれない。

 俳句には季語がある。日本国内では国土が南北に長いために、地方ごとに、四季のイメージがすこしずつ異なっている。日本や朝鮮と同様に、ベトナムにおいても、漢詩(六八のリズムによる短詩)や喃詩(のうし)の長い伝統があり、そのなかに季語に近い言葉を入れることがあった。

 しかし、沖縄や台湾に近い亜熱帯のベトナムでは、四季のイメージは温帯の日本とは大きく異なる。また、ベトナムも国土が南北に長いため、北部・中部・南部の気候は少しずつ異なっている。

 こうした背景があるため、ベトナムの俳句作者たちのなかには、季節の特徴を把握できず、自分の俳句のなかに季語を入れることの難しさを感じている者もいる。 日本の人たちは、ベトナムの北部では日本と似ている四季があるのではないかと思っているかもしれない。しかし、ベトナムでは基本的な季節は「乾季」と「雨季」しかないのである。

 これまでベトナムで開催された俳句コンテストに応募された俳句を見ると、「雨」のイメージの句をよく見かける。

Mộ bên đường
cơn mưa phùn ướt
sân khấu dế non

道の墓
霧雨の中
虫奏で

チャン・ズイ・クオン(河村きくみ訳)
(第5回日越俳句コンテスト(2015年)第1位作品)

 多くのベトナムの俳句作者たちは、季語がなくても俳句を作ることはできると考えている。また、季語のような言葉を俳句に使ってもこれを「季語」だと思っていないケースもある。

 七夕に上弦の月笹に吊るす       レー・タイ・トゥ・フオン

 濡れカッパ 閉じて見上げる夕の虹   グェン・チー・フォン

 (上の2句とも第4回日越俳句コンテスト(2013年)日本語部門奨励賞)

 これらの句では「七夕」「月」「虹」が日本では季語となっている。また、「カッパ(合羽)」もベトナムでは季語として使ってもよいと思う。しかし、これらの作者は、この句に季語が入っていると思っていない。

 どの言葉が季語なのかどうか判断するために、私は「ベトナム歳時記」が必要だと思っている。

 日本の俳句のことを少し理解した人は、日本の俳句と同じようにベトナムの俳句にも季語を入れたいと思う人が増えてきた。そういった人たちは、ベトナムではどんな言葉を季語として使ってよいかがわからない。ベトナムで俳句を作るとき、季語を入れないで俳句をつくることは、季語を入れて作るよりもさらに難しいこともある。ベトナムの俳句に季語を入れて作りたい人はベトナム語の歳時記があればよいと言う。

 しかしベトナムでは、季語を入れなければいけないというルールがあると自由に俳句が作れないと思う人が多いのだ。そういう人たちは「ベトナム歳時記」を作ることに納得していない。これまで、五七五や季語、切れ字という規則がなくてもベトナムでは俳句が流行っているではないか、と思っている人がたくさんいるのである。

 この問題を乗り越えるため、まず、ベトナム人のための日本俳句理解の支援を行う必要があると私は考える。ベトナム人も日本人も、古来より季節の移り変わりにこころを寄せ、自然を愛で、自然のかたちを尊重して詩作をおこなってきたという点でよく似ている。日本の俳句の本当の精神をベトナムに伝えるためには「季語」の大事さを知ってもらうことが必要だと考えている。

 これからのベトナム語俳句の発展には「ベトナム歳時記」が不可欠だと日本の各方面から指摘を得た。「ベトナム歳時記」は、ベトナム人による、ベトナム語による、ベトナムに住む日本人・外国人俳句愛好者による俳句が、伝統的な俳句の精神を深めながら、独自の新しさを生み出すのに役立つだろう。また、ベトナム以外の、熱帯や亜熱帯の、乾季や雨季のある国の人々も参考になれば、ベトナム俳句愛好者がさらに増えると思う。

 「ベトナム歳時記」を作ることを通じて、私は、ベトナムにおいて季語をうまく使いこなせていなかったベトナム人の俳句作者・俳句愛好者たちや、ベトナム在住の日本人・外国人俳句愛好者が、より俳句作りをたのしみ、ベトナムにおける季節の移り変わりを味わうことができるようになると考えている。

◆世界俳句(8) ベトナム語の俳句―季語が必要なのか―

(「草樹」69号(2017年5・6月号)より転載/構成:杉浦圭祐) 

グエン・ヴー・クイン・ニュー(NGUYEN VU QUYNH NHU)

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