関西現代俳句協会

■2019年6月 青年部連載エッセイ

世界俳句(4)
寓意はどこか

黒岩徳将


 『俳句と超短編vol.9』が刊行された。編集は櫛木千尋、装幀は峯岸可弥が担当している。その名の通り、俳句と超短編(一編につき500文字以内)を扱った小冊子である。今号はショートショート作家の田丸雅智や、『天の川銀河発電所』収録作家佐藤智子も参加している。一冊を通して、超短編と俳句形式の共通点・相違点を考えることもできるので楽しい。
 俳句については、メンバーの作品だけでなく、アメリカのJim Kacianの三句を堀田季何が翻訳している。一句を紹介しよう。

somewhere becoming rain becoming somewhere
訳:どこかになる雨になるどこか

 私などは初読で「雨になるどこか どこかになる雨」と訳してしまいそうだったかもしれない。しかし、当然のごとく堀田訳の方が原句のニュアンスを的確に伝えているだろう。訳の一つ目の「どこか」は、原句の二つ目の「somewhere」である。堀田は掲句を「一物のネスト(入れ子)構造になっていて、しかもループする(繰り返す)ような錯覚を読者に与える」と評する。「雨」「どこか」と位相の違うものでループさせるところが詩情の湧き水発生源か。季語は入っていない。表記は、英語でも日本語でもシンメトリーが美しい。残りの二句も言葉の並べ方や修飾の仕方に注目すべきが多いので、気になった方は本冊子を是非手に取っていただきたい。

 やや世界俳句から話はずれるが、翻訳のもう一つの目玉は峯岸可弥訳によるアウグスト・モンテローソの「黒い羊」という、日本語で150文字以下の超短編である。黒い羊が撃ち殺された一世紀後、行いを悔いるために羊の群れが騎馬像を建てたのだが、それからは黒い羊が現れるたびに羊たちが騎馬像を建てるという話だ。
(なんと、筆者のまとめたあらすじが本編の半分ほどになってしまった…超短編はどこまで引用すべきかどうか悩ましい!)
鑑賞には、「蛇足だが、南米の超短編には二十世紀はじめホセ・ファン・タブラダが紹介した日本の俳句の影響があるとの指摘もある。」と添えられている。
 「黒い羊」には寓意があるのだろうが、寓意が通り一遍の教訓におさまってしまわないようにするために、俳句形式で何が出来るのか、というテーマを考える為に、超短編は参考になるのかもしれない。

参考:『俳句と超短編』twitterアカウント@575hc500

◆世界俳句(4) 寓意はどこか

黒岩徳将(くろいわ・とくまさ)
1990年神戸市生まれ。「いつき組」「街」所属。現代俳句協会青年部副部長。

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