関西現代俳句協会

■2013年12月 青年部連載エッセイ

関西俳句の今昔4 島津亮「関西だより」

青木亮人


 島津亮(1918~2000)という俳人をご存じだろうか。戦後関西の前衛俳句を代表する俳人で、西東三鬼を師と仰ぎ、鈴木六林男や下村塊太、林田紀音夫らとともに大坂で気炎を吐いた人物である。著名作品としては、

    怒らぬから青野でしめる友の首
    父酔ひて葬儀の花と共に倒る

等だろうか。前回も記したが、昭和37(1962)年に現代俳句協会関西地区が発足した際、島津は赤尾兜子や鈴木六林男らと名を連ねた俳人だった。

 その島津は、「俳句研究」昭和27年5月号に「関西だより」という記事を寄せている。戦前の新興俳句を継承する形で発展した、当時の関西俳句の様子がうかがえて興味深い。

 たとえば、「天狼」(山口誓子主宰。誓子、幹部ともに関西在住が多かった)同人の平畑静塔――伝説となった戦前の新興俳誌「京大俳句」編集長で、誓子の側近である――が自身の代表句となる作品を発表した際、「天狼」一般会員はさして気に留めなかった節があったことを島津はユーモラスに述べる。

    ジープより赤き薔薇落つ跳ねとびぬ

 この句を慥か「風」の澤木欣一がほめてゐたが、天狼が本年初めに読者より同人作品の一般投票を募つたことがあつたが、この句にはたゞの一票も入つていなかつたやうにおもふ。たしか昨年、三鬼宅でわれわれ「梟」の連中が忘年会をやつたとき三鬼が鑑賞差の資料として「天狼」のこの自薦同人作品をわれわれに見せてマル・チヨンをいれさせたことがあつたが、これが一番吾々の共鳴した句であつた。

 天狼の遠星集に集ふ人々に、天狼同人の何人かは絶えず今後とも面喰ひつゞけていくことには間違ひない。(「関西だより」)

 島津を初めとする「梟」(島津が中心の俳誌。短命に終わった)の面々が西東三鬼宅で忘年会を催した際、一同が感銘を受けた静塔句は「ジープ」句だったが、「遠星集」(誓子選の一般会員投句欄)の人々は素通りしたらしい。

「天狼の遠星集に集ふ人々に、天狼同人の何人かは絶えず今後とも面喰ひつゞけていくことには間違ひない」、つまり山口誓子を師と仰ぐ「天狼」の中でも静塔レベルの同人と一般会員の間には深い溝が横たわっているというのだ。

 島津はそれに対し否定も肯定もしていないが、誓子や静塔らが孤独であることを言外にさりげなく漂わせている。「俳句」の本質を捉える、というより捉えてしまった者たちはいつの世も孤独であることがうかがえる記事だ。おそらく、島津も自身をそのように感じていたのだろう。

 冷静に考えると、「怒らぬから青野でしめる友の首」といった句を普通の俳句愛好者が好むはずがない。もっと綺麗で、分かりやすい、平凡な日常生活を認めてくれる作品を愛するものだ。常識や良識を脅かす島津のような作品を前にぼう然とするのは、「俳句」の凄さを知ってしまった少数派のみだろう。

 島津は、「遠星集」に毎月投句することに満足する人々とは感覚がずれてしまう孤独な俳人たち、すなわち自身や静塔のような俳人が「選ばれた幸福/選ばれた不幸」のどちらなのか――またはこの問いかけ自体が無益なのか否か――、「関西だより」では明言していない。

 ただ、「選ばれた者たち」の中にもさまざまな階層や時代性があることは次のように指摘している。  

俳句には先天的な才能即ち天稟といふものが絶対必要であるといふこと。虚子も草田男も波郷も三鬼も、少し変つて努力派の誓子も耕衣も多佳子も稟質のある、いはゞ天才か、天才に近い人であるとしておこう。勿論火渡周平は甜菜の方である。そして静塔やかけい等は天才ではない。つまり梟の会のわれわれと同じく天稟がないのである。(略)

 1950年以後の俳壇は、他の芸術のそれと同じく、大家とか名人とか大宗匠とかは出ないのである。明治時代に大学を出た人は、殆ど皆出世できた。けれどもいまは俳句でいへば若い現代の蕪村や子規はいかに才能にめぐまれていても有名にはなれない、ならない時代であり、小粒で孤独で終る時代が現代であるといふ話題である。(島津「関西だより」。なお、「火渡周平は『甜菜』」は誤植なのか、「テンサイ」の漢字をあえてずらしたかは不明)

 関西の前衛俳句運動は昭和30(1955)年前後から社会性俳句と相まって盛んになり、一時代を築いた。現代俳句協会の史上のスターがひしめいていたのもこの時期である。

 しかし、英雄の一人だった島津は昭和27年の時点で「虚子も草田男も波郷も三鬼も」、また「誓子も耕衣」も天才と見なす一方、自身を「小粒で孤独で終る時代」の凡人と規定している。

 無論、島津の言をそのまま受け取るわけにはいかないが、「怒らぬから青野でしめる友の首」を詠んだ前衛俳句の雄が誌上で自身をそのように規定しつつ俳句活動を出発させていたという意味は大きい。

 それはたとえば、現代俳句協会が自らの道程を振り返った際の本質的な問題に関わることに感じるが、いかがだろうか。

◆「関西俳句の今昔4 島津亮『関西だより』」: 青木 亮人(あおき・まこと)◆


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