関西現代俳句協会

2025年12月のエッセイ

デジタルの俳句

こにし桃

     

 学生の頃は男女別で求人があった時代で、女子の就職は超氷河期。情報処理システムの会社に就職が決まり、国文学専攻だった私は卒業と同時に理転した。
 当時の情報処理業界は女子の募集に積極的で、就職課の担当者に「むしろ文系の学生に向いている」と乗せられたわけである。

 ただ、この時のプログラマーやSEやインストラクターの経験が、現在もずっと役立っている。

 他大学から講義に来られていた恩師は理論と証明を厳しく教えて下さった。
 俳文学の研究者で専門は俳諧、松尾芭蕉についての講義と演習の指導を受けた。
 記憶に残っているフレーズは「柿衞文庫」、和綴じを習った事も印象的であった。
 恩師とは卒業後も年賀状での近況報告は続いていたが、2004年の年賀状にALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹り、大学も研究も年賀状も最後にするとあった。
 そして、思いは、『俳句年鑑』に書いたので見てほしいと。

 小学生の頃からの知り合いの家の本棚に俳句の本が並んでいたのを思い出し、その『俳句年鑑』の事を話すと下さった。
 恩師は、俳諧の著名な研究者で柿衞文庫とも深い関わりがあった事を知る。
 そして、この『俳句年鑑』の10年後に、私は俳句を初める事になる。

 学生の頃は、人文科学として学んだだけの「俳句」が、創作の対象となったのであるが、小学生からの知り合いはこの時から俳句の師匠と呼び名が変わった。

 師匠と共に、父と同郷の坪内稔典先生の句会ライブに参加したり柿衞文庫の講座に参加する内に、柿衞文庫に恩師の遺された研究が「文庫」として保存されているのを知る。

 俳句を創めたきっかけは、自らの欲求ではなかったが、人生の流れの中に導かれるものがあるように感じている。

 俳句を創めて8年、日常生活に俳句感がないのだが、松永貞徳が俳句は普段のことばで作ればよいと方向を示され、稔典先生が俳句は日常のことばで作ればよいと言われ、師匠 西谷剛周がもういい加減古い句材ではあかんでと言われていることは、私の句作のスタイルにフィットする。

 デジタルの俳句は、コロナ禍を経験して加速している。
 出句はメールで送信し清記表はエクセルで作成する。
 句会はネットを通じて行いどこにいても参加出来る。
 時間と経費と事務作業の軽減は、気軽さと互いの距離感を無くしていく。
 従来のアナログの俳句を否定するわけでは決してない。
 多様であることが正に俳句なのだと思う。

 私は、デジタルの部分で重宝されていると思う。
 実際、この分野は俳句を作るよりずっと得意である。
 関西現代俳句協会は俳句を得意とする方がほとんどだと思うが、私のように芝居好きでデジタルの作業やカメラが得意なものが1人ぐらいいた方が面白いしそれが私の存在意義と思っている。

(以上)

◆「デジタルの俳句」:こにし桃(こにし・もも)◆

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