関西現代俳句協会

2025年3月のエッセイ

邦題のつけ方、季語の選び方

衛藤夏子

 今、公開中のニコライ・アーセル監督「愛を耕す人」は、格差社会の中、開墾地を孤独に耕す退役軍人の主人公が、人生の終わりに大切なものに気づくといった描写のあるデンマーク・ドイツ・スウエーデン合作映画でした。
 原題はデンマーク語で、ろくでなし、にせもの、といったあまり良い意味ではない単語だそうですが、英語から日本語に訳されると、「愛を耕す人」とメルヘンチックな言葉の題名になっていました。

 先週観たジエシー・アイゼンバーグ監督の「リアル・ペイン~心の旅~」は、リアル・ペインを本当の痛みと訳さずにそのまま使い、心の旅という副題をつけたアメリカ映画です。
 ユダヤ人の従弟同士が、亡くなった祖母がいたポーランドの収容所を訪ねる旅を描いた物語です。

 「映画を愛する君へ」は、アルノ―・デプレシャン監督の自伝的エッセイ風のフランス映画の邦題です。監督自身が影響を受けた五十本以上の映画を、哲学者や批評家の言葉も引用しながら、自身の成長と絡ませて語っている内容です。
 原題は、観客、目撃者、傍観者などという意味の単語です。それが、日本語になると、親愛の意味も加味されて、「映画を愛する君へ」という長い言葉になりました。

 古典的名作「風とともに去りぬ」「ゴットファザー」「ひまわり」のように、原題がそのまま、邦題になっているものもたくさんあります。

 洋画を観たあと、必ず、原題を調べてみます。
 エンドロールに記載されていますが、わたしの語学力では訳せないこと多く、最近はネットで調べます。
 たいがいは、映画の内容の要約やキーワードが多いのですが、「愛を耕す人」や「映画を愛する君へ」のような飛躍したものもあります。
 賛否はありますが、飛躍した題名を知ると、何故かしら、どこからついているのかな、と考えるのも楽しいです。

 自分でわからないときは、イギリス人を夫に持つ映画好きの友人に聞いてみることもあります。
 英語と映画に造詣の深い彼女は、日本語との微妙なニュアンスの違いを教えてくれます。

 邦題をつける、という思考は、わたしの中では二句一章の、取り合わせの俳句の季語を選ぶ行為に少し似ているなあ、と最近思っています。
 原題からさらに飛躍した、日本人に伝わる題名を考えることは、取り合わせの文章にふさわしい季語を選ぶ、微妙にかすっているような関係に近い気がするからです。 

(以上)

◆「邦題のつけ方、季語の選び方」:衛藤夏子(えとう・なつこ)◆

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