関西現代俳句協会

2022年2月のエッセイ

あの頃

赤窄 結

 その日、人生で初めて授業をサボタージュした。「アメリカ文学」の講義だった。入学して知り合った友人2人と私、3人で校門を出た。入学して間もない5月、葵祭を見るためだった。間近に見る豪華絢爛にして優美なる平安絵巻は想像以上に美しかった。京都の大学に入学したことを実感し、喜びに満たされた。だからといって、サボタージュしたのだからとそのままどこかへ遊びに行くとか、喫茶店で時を過ごそうとか言うことを、あの頃の私たちは考えなかった。一刻も早く授業に戻ろうと学校への道を急いだ。もっとも、立ち寄ろうにも大学の周りには、学生でいつも込み合っているラーメン店と、2席のテーブルがあるだけの喫茶店、そして駄菓子屋があるだけだった。

 教室に駆け戻り、後部の扉からそっと席に着いた。だが、葵祭に出かけたのは私たち3人だけではなかった。同じように葵祭を見た学生たちが落ち着かない様子でざわついていた。先生が怒るでもなく笑うでもないまじめな口調で言った、「せっかく京都の大学に入ったのですから、葵祭を見ることは私の講義を聞く以上に意味のあることでしょうね」。その日の講義はヘミングウェイ、彼の文体はハードボイルド、今も忘れていない。先生の面差しは少しヘミングウェイに似ていると思った。

 休校になると、駄菓子屋でソフトクリームを買って賀茂川の河原へ行った。あの頃は、河原にカップルが等間隔に座っているというような光景はなかった。私たちは誰はばかることなく、大声で歌い、笑い、話をした。文学のこと、好きな作家のこと、昨夜聞いた深夜放送のこと。過去のことは話さなかった。将来のことも話題に上らなかった。今現在の幸せをかみしめていたのだと思う。

 友人が先輩に恋をした。時々学食で会うだけ、挨拶をするだけの人だった。その人は4年生、卒業してしまう前に思いを告げたい。私たちはその人の下宿へ向かった。あの頃下宿と言えば、木造アパートだった。その2階に部屋はあった。友人は窓ガラスに小石を投げた。かちん、かちん、反応はなかった。それで友人の恋は終わった。仏教を学んでいたその人は、僧侶となったのだろうか。友人はその後幸せな結婚をしたが、ご亭主は何となくその人に似ている。

 あの頃、宝ヶ池に乗馬クラブがあった。乗馬クラブと言っても、芝の生えた空き地を並足で回っているだけだった。クラブの受付事務所の2階が喫茶店で、カントリーミュージックが流れていた。ようやく美味しいと思えるようになったコーヒーを飲みながら、馬がぽくぽく走るのを飽かずに眺めた。店の名前は「ホンキートンク」といった。国際会館は既にあったはずだが見えなかった。その後プリンスホテルも開業し、現代的な一角になった。・・・とここまで書いてインターネットで調べてみたら、乗馬クラブもホンキートンクも未だ営業していることがわかった。だが、あの頃のひなびた雰囲気はもうない。

(以上)

◆「あの頃」:赤窄 結(あかさこ・ゆい)◆

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