関西現代俳句協会

2022年1月のエッセイ

コロナ禍の中で

高橋将夫

 76年の人生の中で台風や地震など多くの災害を見てきた。「まるで夢みたい」というが、それは言葉の綾で、それらの惨状はあくまでも厳しい現実として胸に迫ってきた。ところが、新型コロナが地球的規模で蔓延し始めた時、「これは夢ではないか」と本当に夢のように感じた。この未曾有の事態を私の脳は現実として受け入れられなかったのであろう。

 その後、感染は鎮静化しそうになっては再燃し、外出自粛が長期に渡り、吟行や俳句大会は中止となり、句会は休会が続いた。私の場合、俳句は「精神の風景、存在の詩」と考え、作者の精神(心)に投影される景には、眼前の景に留まらず、広く過去の体験、知識、思想なども含まれると思っている。

 俳句の素材は自然だけでなく、人間も含まれる。作者の主観を通して、あるいは主観から生じた景であるから、リアルなものもあれば、シュールなものもある。日常があれば非日常の世界もある。風土もあれば、宇宙だってある。見える世界ばかりでなく、見えない世界だってありうる。

 そんなわけで、外出自粛や吟行ができないことは私の作句活動にとって大きな障害とはならなかった。問題は句会や俳句大会ができなかったことである。作句のモチベーションが下がるということもあるが、句会への禁断症状が出るのである。緊急事態宣言が解除となり句会が再開された時の出席者の晴れ晴れとした様子は強く印象に残った。「俳句は座の文芸」とはこういうことなんだと肌で感じた。

 誌上句会やインターネット句会は従来から行われており、リモートでの句会も推奨されたが、やはり対面での句会には遥かに及ばない。結社の全国大会に地方から一人で参加した会員が懇親会で普段面識のない人達が自分も含めまるで旧知の友のように歓談しているのが不思議だと語っていたのを思い出す。

 令和2年10月に「槐第29回総会・俳句大会」を開催。なぜコロナ禍のこの時期にとの意見もあったが、敢えて実施した。1年後も感染者がゼロになることはないだろうから、今回やれないということは節目の槐創刊30周年記念大会もやれないというに等しいと思ったからである。幸い大会は無事終了し、槐創刊30周年記念大会に希望を繋ぐことができた。

 ところが、その直後からコロナの第3波が来て、一息つく間もなく第4波にみまわれ、遂にはデルタ株の第5波で感染者が急増。この過程でほとんどの結社は周年事業や俳句大会の中止を余儀なくされた。

 ところが、その後の感染者急減と緊急事態宣言解除の環境下で幸運にも槐創刊30周年記念大会は無事終えることができた。それでも、開催までの間、毎日感染状況に一喜一憂したあの思いは二度としたくないし、来賓の方々にかけた心労に対する主催者としての葛藤は今も心に残っている。

 ワクチンや治療薬ができて新型コロナの脅威は遠のいたものの、根絶することは出来そうもないので、結局はインフルエンザのようにウイルスとの共存というか、並存を前提として日常生活を送る中で工夫をして句会や俳句大会を続けて行くことになるのだろう。

(以上)

◆「コロナ禍の中で」:高橋将夫(たかはし・まさお)◆

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