関西現代俳句協会

2021年9月のエッセイ

峰定寺と日本一の花脊の杉

仲井タミ江

 大悲山峰定寺(ダイヒザンブジョウジ)は山伏の本山聖護院の門跡で、京都の市街地から北へ40キロ程あり広河原美山線の鞍馬街道を経て杉の木洩れ日の中の花脊峠を越え更に20キロ奥の山中にあります。

 峰定寺は古来山伏の行場であって峰や谷にも石楠花が自生郡落し修験の山らしく霊気が漂います。石楠花の名所で4月末には山桜と石楠花が相俟って心癒されます。

 平安末期の久寿元年(1154年)創建で鳥羽天皇の勅建で造営奉行が藤原信西(シンゼイ)で工事雑掌は若き日の平清盛の援助に観空上人が創立し、観空上人は又三滝上人と謂れ「近代無双行者」と言われました。名僧で天皇の帰依が大変篤かった。

 寺谷川の流れに沿う参道に石楠花と山桜が色を添えます。山門には藤原時代の仁王像を祀り門前に高野槙が聳え400段の磴を登りつめた所に懸崖造りの観音堂が建ち、森閑とした杉木立を縫う風は清々しく別天地である。

 観音は精巧な切金細工の小像で彫刻と言うより工芸品に近いものです。

 鳥羽天皇、後白川法皇の帰依が篤かった関係か寺の山中に鬼界ケ島に遠流された俊寛やその妻子の供養塔が建っており、峰定寺の奥の滑谷(なめらだに)に俊寛の妻子達が潜んでいた伝説があります。又平家落人の謂れも多々あります。谷奥深く落人達が隠れ住み平重盛の遺族もかくれたという記録もあり、平家一族の墓と伝える石塔も残っています。八桝(やます)の里には最近まで平重盛の木像が祀られていたらしいです。

 古刹峰定寺の花脊の三本杉は寺領の奥の大悲山国有林内にあり、地域の御神木として昔から信仰の対象となっていました。江戸時代中期(1787)年に刊行された「拾遺都名所図会」の中でも「大木にして又類稀なり」と記されています。樹高が高いことで知られていました。2017年11月28日林野庁京都大阪森林管理事務所が測定したところ東幹の樹高62.3m幹周り639cm、北西幹60.7m幹周り615cm、西幹57.2m幹周り608cmあり、東幹の杉の樹高が日本一であることが確認されました。残りの2本も日本2位と日本5位と3本共に日本屈指の高さを誇っています。

 樹齢は千年とも言われています。三本杉の在る所は滋賀県と京都の県境の位置にあり豪雪地帯で冬期は古刹の峰定寺も閉じられます。秋の峰定寺の会式には大勢の山伏さんがみえ法螺の音にはじまる護摩炊きは勇壮盛大で一山が護摩煙で包まれます。

 峰定寺、三本杉の管理や清掃は有志の方々のお力で今日まで維持出来た事は大変有り難い事で、この宝物をこれからも地域一丸となって未来へ守って行きたい所存です。

    神木を常宿として囀れり    タミ江

(以上)

◆「峰定寺と日本一の花脊の杉」:仲井タミ江(なかい・たみえ)◆

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