関西現代俳句協会

2021年5月のエッセイ

北国の春

音羽和俊

 生まれ故郷の北海道を離れて50年余りになる。故郷のことは今でも昨日のことの様に思い出される。生まれは、夕張。今はメロンで有名になったが、元々は全国有数の炭鉱の街である。父は炭鉱病院に勤務していた外科医だった。落盤事故や熊に襲われたけが人の話などを何度か聞かされた。熊に遭遇したら、死んだふりをすると助かるという話は小さなときから聞かされていたが、本当かどうか怪しいと思っていた。熊は死んだものの肉は食わないというのだ。父の話によると、熊に遭遇した人が、死んだマネをしていたら顔を手で一撃されたが我慢してじっとしていた。顔半分を熊にえぐられて大けがをしたが、命は助かったというのである。死んだふりをするといいというのは、まんざら当たっているようだ。

 北海道の四季のうち、好きなのは春、それも雪解けのころである。雪解けが始まるころは、早く雪が溶けて地面が出てくる様に、家の周りの道路をスコップで土が見えるまで掘り起こしたものだ。真っ黒な土が出て来る時は、心底、嬉しさがこみあげた。

 また春といえば釧路の流氷を思い出す。流氷は地球の温暖化により年々、見られる時期と地域が限られてきている。今では稚内から知床にかけてのみ見られるが、私が住んでいた60年前は、釧路でも流氷を見ることが出来た。流氷は、何日もかけて海を埋めるのではなく、たった一日で海を埋め尽くす。当時通っていた中学校の裏がすぐ海だった為、授業中に窓からキラキラと輝く流氷の海を眺めることが出来た。流氷の一片は結構大きくて、大人が乗っても大丈夫な大きさのものもあり、ちょんちょんと乗り移れば沖まで行けそうな気がした。そんなだから、つい子どもたちが悪戯に流氷に飛び乗り、溺れる事故が後を絶たなかった。

 流氷で埋め尽くされた釧路港が一望できる米町公園には、啄木の歌碑がある。

 しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな

 啄木は明治41年の1月から4月まで、釧路の新聞社に勤務していて妻子を小樽に置いての単身赴任中だった。流氷で埋め尽くされた港はロマンチックではあるが、単身赴任の身としては、さぞかし寒々と見えたことだろう。

 今となってはもう目にすることが出来なくなった釧路の海の流氷を、夢の中でもいいからもう一度見てみたいものだ。

(以上)

◆「北国の春」:音羽和俊(おとわ・かずとし)◆

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