関西現代俳句協会

2020年5月のエッセイ

八ヶ岳縦走記

植田かつじ

   

 茅野駅行きのバスに揺られながら、遅咲きの桜をぼんやりと見ていた。少しの充実感と大きな敗北感。

 四十代前半、山登りを始めて十年程たっていた。どんなに歩いても疲れない、自分に行けない山はない、そんなことを思っていた頃だった。所属が別々の山岳会のメンバー4人で残雪期の八ヶ岳全山縦走をやろうという話になった。俳句でいえば超結社というところか。GW3泊4日でのテント泊。数ヶ月前から休日はこのためのトレーニング山行についやしていた。
 いざ本チャン。南端の天女山近くに車を止めて、三ッ頭から権現岳へいきなりの急登アイスバーン、アイゼンを装着し歩みを進めるが、権現岳に着く頃には荷物が肩に食い込みかなり苦しい。水を捨てる。鉄ハシゴは半分ほど雪で埋まり足元が見えない。1日目の幕営地キレット小屋に到着。明日越える八ヶ岳の主峰赤岳が屏風のように聳え立っている。

 2日目、その赤岳を越え横岳への道、向こうからパーティーが来ていたので、岩陰でやり過ごす。「ん?」すぐ近くに居たのに来ない。どうやら1人滑落したようだ。立ち止まっている。雪庇にはきれいに穴が開いていた。はるか下方には人影。やり過ごし先に進む。
 横岳は無雪期なら東側ルートでピークを迂回できるが、雪で足を置く位置が判らず、岩の上を行く。左側は切り立ち、落ちれば身体はバラバラだ。
 その横岳を過ぎた頃、後ろから若者が急ぎ足でやってきた。横岳山頂付近で1名が足を滑らせ木に引っかかっていると。また別の滑落事故が起きたのだ。そういえば先程年配の夫婦とすれ違った。携帯電話で警察に連絡。何とか救助要請ができた。
 この日は精神的ダメージが大きい。幕営地のオーレン小屋着。森の中の心地良いテント場だ。八ヶ岳は基本的に尾根上にテント場がない。この日も縦走路からかなり下った。当然明日は登り返さなければいけない。

 3日目、雪があったりなかったり、アイゼンを着ける外す、また着ける、その判断に少々いらつく。思っていた以上に体力の消耗が激しい。この日の幕営地青苔荘に着く。ここは観光地の白駒池のほとりだがこの時期誰もいない。この日も数百メートルを下ってたどり着いた。当然明日朝から登り返す。

 4日目、最終の目的地蓼科山を目指すが足が重い。徐々に口数が少なくなるメンバー。歩き出して2、3時間、休憩の回数が増えている。今日で終わりだと自分に言い聞かせ足を進める。
 縞枯山を越えたとき、一番若いAが訴えた。「ぼくもう足だめや」。私は心の中で言った。「おお、よう言うた。お前は偉い」と。そして「今回はこの辺でやめとこか」と他の2人に切り出す。きっとこの2人も待っていたのだ、誰かが言い出すのを。長期にわたり土日の休日をついやしてきた。簡単には引き下がれない、しかしもう限界を超えている。こうして初の全山縦走は終了した。

 茅野駅から電車に乗り、小淵沢駅で小海線に乗り換える。駅弁を食べながら見上げる八ヶ岳の山々は眩しく誇らしく輝いていた。

(以上)

◆「八ヶ岳縦走記」:植田かつじ(うえだ・かつじ)◆

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