関西現代俳句協会

2020年4月のエッセイ

水仙花

中村純代

   

    銀河系とある酒場のヒヤシンス   橋 閒石

 長身でスリム、面長でロマンスグレーのその方は、左右ふたつある扉のうち、必ず右側の方の扉からすっと入ってこられる。そして私の前を横切って、左側壁の本棚まで向かうと、書架の下段にずらりと並ぶ大日本国語事典や国書総目録、群書類従といった専門書コーナーの前に立たれ、腰を折って目的の1冊を探される。見つかれば、長い手を伸ばして手に取られ、そこでは座ることはせず、立ったまま目的のページを開く。読み終えるとメモをとることもせず、パタンと閉じて、長い身体をまた2つ折りにし、本を元の位置にもどされる。そして、そこで初めて椅子に座られる。座り方は、机に対して少し身体を右側に開き、左足を右足の上に組む。長い足はテーブルの下に収まらず、通路に流れる。目線は斜め上、書架の上の方をご覧になっている。

 私はそのタイミングで初めてデスクを立って、その方にコーヒーを入れて「どうぞ」と差し出す。「ありがとう」と答えてくださる。「私は戦後、たくさんの文書を墨で塗りつぶしていく仕事をしていたよ。だから長い文章を短くするのは得意」などと話されていた。その方の座り方の癖で、私はいつも彼の左側面のお顔ばかりを拝見していた。コーヒーを飲み終えると、座っている位置から近い左側の扉ではなく、また右側の扉まで行って、「ではまた!」と片手を上げて出ていかれる。

 この方の名は、橋泰来(はしやすき)。蛇笏賞作家の橋閒石氏です。

 私は当時、神戸親和女子大学の国文学科合同研究室で仕事をしており、橋先生は同大学英文学科の名誉教授で、元学長。その時にはすでに退職されて、非常勤講師として時々大学まで来られていました。そして、英文学科の研究室には置かれていなかった国文の専門書を見るためにこうして時々、私のいた部屋に来られていたのです。

 今思えば、なんと贅沢な… それなのに、まだ三十前後だった私は、橋先生の偉大さをそんなにわかっておらず、当時は、先生の作品を読んだこともありませんでした。それなのに、恐れ多くも、少しだけ拙句を見てもらったことがあります。厚顔無恥とはこのこと…。本当にお恥ずかしい。でも優しく見てくださり、メッセージをくださいました。そこには「(前略)何にしてもぽつぽつご作句のご様子。何より結構に存じます。とにかく六句に丸をつけましたので、それを参考にして五句選ばれたらと考えます。しかし要は自分の好みということもありますから、その点然るべく。今後は他人の作品をどんどん読まれるように。そのうち批判の目も養われてゆきましょう。いずれまた」と書かれております。私の宝物です。その後、橋先生にお会いすることはありませんでした。

 冒頭の句は、橋閒石氏の代表作としてよく取り上げられていますが、私にとりましては、橋先生はヒヤシンスではなく、スラリとして凛としている水仙のイメージです。

    閒石の組む足長し水仙花    中村純代

(以上)

◆「水仙花」:中村純代(なかむら・すみよ)◆

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