関西現代俳句協会

2020年3月のエッセイ

四郷の串柿

満田三椒

 昨年秋、ねんりんピック和歌山俳句大会の選者として「秋」誌の主宰、佐怒賀正美氏が来和された。大会の翌日、佐怒賀氏をお誘いして、車で紀の川沿いを下流から遡上、最後は今が時季の四郷の串柿を見に行くことになった。

 当日は、佐怒賀主宰、和歌山の俳誌「水韻」主宰の上野みのりさん、京鹿子同人の辻本俊子さんとの4名の吟行。紀州藩の参勤交代の宿泊所の名手本陣、「秋」の同人だった木村恵洲氏の句碑を巡り、空海の母が晩年に滞在した慈尊院、六文銭の真田庵を訪ねた後、四郷の串柿の里へ。天気予報では雨だったが、時折日の射す、吟行日和となった。

 京都・奈良・和歌山を結ぶ、まだ建設途上の京奈和道を、かつらぎ西ICで降り、大阪へ抜ける道を進みはじめると、前方の山並に2箇所ほどオレンジ色の集落が見えはじめた。この地区の日当たりの良い山間に、里(郷)が4箇所あり、合わせて「四郷の串柿」の産地となっている。農家の数は60軒あまり。その60軒が、最盛期には一家総出で夜遅くまで作業を続け、全国の串柿のほとんどを生産しているという。

    山の日の移ろひやすし柿を干す    俊子

 トンネルの手前をヘアピンカーブのように曲がり、急な坂を右に左にハンドルを切りながら車1台の幅の狭い道を登って行く。やがて前方にオレンジ色の太い帯が見えてきた。道の左側は崖、右側は絶壁の小道の、絶壁側に左右1メートルほどの波板の屋根が道に沿って続く。その屋根の下に、長さ50㎝ほどの串に10個の柿が左右を縄に挿され、それが縦に10段ほど並んで、1枚の簾となっている。その簾が、20㎝ほどの間隔で、延々と縦列を組んで吊るされ、まるで宙に浮く朱色の土塀のようだ。絶壁の谷の底から吹き上げる風がその簾の間を吹きぬけて、干した柿の水分を抜いていく。

    身を細め甘さ閉じ込め吊し柿     三椒

 少し広くなった三叉路に車を止めて、串柿の朱色の土塀と、土手に囲まれた細い道の間を柿のあまい匂いをかぎながら、各自俳句手帳を広げて散策を始める。串柿の簾の間からは、遠く紀州の山並みが見え、遥に高野山も望めるという。道が少し下りかけたところで一軒の農家の作業場に出くわす。

 裸電球に煌々と照らされる中、若い女性と、熟年の夫婦らしき3人が、串柿作りの作業中。若い女性は、柿の皮を剥く作業。鉄製の凹んだ台に柿を縦に置くと、くるっと廻って、上からドリルのキリのようなものに突き刺されて廻り出す。横手から刃が近づいて、器用に柿の皮だけが剥かれて行く。皮を剥かれた柿は、右のコンテナに、剥かれた皮は、下のコンテナにうづ高く詰まれて行く。

 男性は竹の串に柿を刺す作業。竹串には10個の柿を2・6・2の順に分けて挿してゆく。「夫婦ニコニコ(2個2個)仲睦(中6つ)まじく」という語呂合わせ。「しかし、夜の12時ごろまでやっとると、皆、疲れて来てな、夫婦、仲、むずかしくなってくるんよ」と笑いながら「竹串はメイドインチャイナ。中に柿の種があるんで、経験をつまんと旨く挿せんのよ」と器用に剥かれた柿を竹の串に挿していく。

    串柿の手作業爺の勘頼り      みのり

 また散策に戻ると、曇りがちの西の空の雲間から、急に日差しが差し込んで、吊るされた柿が、一斉にオレンジ色に輝き出した。この一瞬、私はカメラを持って、土手を登ったり降りたりしながらシャッターを切り、他の3人は、良い句が出来たのか、俳句手帳に句をさらさらと書き込み始めた。

    日と風がそそぐ柿渋抜けるまで    正美

(以上)

◆「四郷の串柿」:満田三椒(みつだ・さんしょう)◆

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