関西現代俳句協会

2019年8月のエッセイ

鯰と鼬

髙木泰夫

 住まいの近く、10分も東に行くと田畑が広がっている。鹿川という名の川があり、その堤防が最も手軽な、気に入りの散策コースになっている。朝から曇っていた天気が明るくなって来た時など、ふらりと出かけるにはもってこいだ。川は北に向かって4キロ程先の木津川に注ぎ込んでいる。両側の景色は四季折々楽しめるし、生き物に出会う事も多い。鳥の種類は数え上げたらきりがない。運が良ければ川筋を急ぐ翡翠にも出会う。

 川は葦とか他の草木でかなりの部分塞がれているが40センチはあろうかと見受けられる鯰の住処というか活動エリアも突き止めている。私が立つと、鯰はゆっくりと尾びれを使い石組の間に後ずさりする。警戒は続けているが全身は隠さない。その面構えが好ましい。たまにしか出逢わないが何度かそんなことをしている内になんだか肝胆相照らす間柄になったような気分になってくる。台風で大雨が続き各地の河川が危険になったことがあった。あいつもきっと流されているだろうなと気になっていたが、数日後行ってみると、岸辺の草木は大きくなびいた後を遺しているが、なんと、奴さんはいた。石の間に身を潜めて凌いだのだろうか。

 鼬にも時たま出会う。去年の秋、対岸に見つけた。普通なら、人を見るとそそくさと茂みに逃げ込むところだが、慌てる風はない。やや小ぶりでまだ若い鼬のようだ。 少し平たくなった場所に枯れ草をならし、どうやらそこで日向ぼっこを決め込んだのか、体を丸めようとしている。

「おいおい、大丈夫かい」

 10メートルとは離れていない。今時、そんな事をする子はいないだろうが、自分が子供の頃には、何人かでよく野原に繰り出し、その中には悪いのもいて、生き物を見つけると石を投げたりしていたものだ。それに鷹もいる。小型ならともかく大鷹だって時には奈良にも来る。ある年の初冬、近くにある磐之媛陵の決まりの大木の天辺に止まるという情報が流れたのであろう、野鳥ファンが大挙(30人はいた。)カメラの三脚を立てて待機していたことがあった。大鷹に狙われたら、鼬はひとたまりもない。あまりにも無防備である。

 私は、これは「教育的指導」がいるなと思い、石を拾って傍に落してやった。鼬は特段驚くこともなく私を見上げると茂みに入って行ったのだが、その様子が如何にも迷惑そうで、仕様がないなといった風情なのである。 今までに、鼬には何十回と出会っているが、本来、至って警戒心の強い生き物だ。しばらく首を立ててこちらを確かめると、早々と茂みに潜り込むか、溝を伝って姿をくらます。動きは俊敏で二度見つけるのは難しい。

 余程、幼い個体だったのだろうか?

 あんな鼬は見たことがない。

    昼寝する鼬に会えて今日は良い日      泰夫

(以上)

◆「鯰と鼬」:髙木泰夫(たかぎ・やすお)◆

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