関西現代俳句協会

2019年4月のエッセイ

あるコンサートで思ったこと

吉田成子

 最近の私のストレス解消法の一つはクラシック音楽の演奏を聞きに行くこと である。とは言っても全くの素人だから、おおかたの人が知っている曲のコン サートが殆どで、例えばべートーヴェンなら交響曲第5番の「運命」、第6の 「田園」、年末恒例の第9程度だけれど、音響の良いコンサートホールで聞く オーケストラのクラシック音楽は心身の疲れをほぐしてくれる。

 この音楽の持つ力を改めて思い知らされたのは東日本大震災直後に仙台フィ ルハーモニー管弦楽団が催したコンサートである。あの大惨事のあと、それも 多くの被災者が取りあえず避難した体育館などで過ごしていた頃である。楽団 員自身も被災した身であったが、被災地の人達を励まそうと、ある体育館に楽 器を持ち込んでコンサートを開いた。ピアノなどの大きい楽器は据える場所も ないからヴァイオリンやフルートなどの小型の楽器を使ったミニコンサートで ある。演奏者も10人程度だったようだ。

 当時の周囲はまだ行方不明者の捜索に明け暮れていたから、この体育館にも 家族を失くした人や、家を失い住むところも無い人が沢山いた筈。深い悲痛と 絶望感にあるなか、音楽を聴く心のゆとりなどない。そんな人達の視線を受け つつ演奏前の準備をする楽団員達は、怒鳴られるのではないかと思ったそうだ。 ところが演奏が始まり、しばらくはただ黙って聞いていた人々が曲も終りに 近づいた頃、涙を浮かべて泣いている様子の人など、その場の空気が一変した と言う。コンサートは思いがけない大きい拍手で終ったようだが、演奏した楽 団員は音楽の持つ力を目の当たりにしたのではないか。このコンサートについ てはNHKテレビのある番組で知ったのだが、楽団員の一人は音楽をする意識 を変えた経験だったと話していた。

 東日本大震災や、かつての阪神淡路大震災、また昨今の豪雨被害など、テレ ビに映る惨状を見るたびに思うのだが、このような場に私が長年携わっている 俳句は何の役にも立たないのではないか。どちらの震災のあともその実情を残 す俳句、被災地や被災者に心を寄せる俳句など、多くの人が沢山作った。勿論 それも被災地や被災者への救いの手の一つで、長い目で見ればなんらかの助け になっている。しかし災害の現場でスコップを使う人、瓦礫を運ぶ人などが泥 まみれ汗まみれになって被災者の力になろうとする光景を見ていると、このよ うな生々しい現場に、俳句はいかにもよそよそしく思えてならない。全くジャ ンルの異なる音楽と俳句を比べるわけではないし、ましてや単に災害の現場を 持ち出して俳句を云々するわけでもないが、音楽に携わる人を少し羨ましく思 った。

(以上)

◆「あるコンサートで思ったこと」:吉田成子(よしだ・しげこ)◆

▲今月のエッセイ・バックナンバーへ