2019年2月のエッセイ便船塚おおさわほてる “ その共同住宅地の中央には大きな空き地があった。日の暮れるまでそこで遊んだ。昭和40年代ともなると、ちょうど空き地を取り囲むように団地が出現する。そこにはおしゃれな別世界があるのだと何となく思っていた。空き地に到着するためには、必ずその団地を通り抜けて行かねばならなかったが、いつしか団地の子供たちも遊び仲間に加わった。 しばらくして、空き地にたくさんの資材が運ばれ、うず高く積み上げられた。昔のことだから立ち入り禁止などの規制もない。積まれた資材によじ登り、偶然できた穴からわずかな隙間に潜り込み探検を始めた。不思議な事に中に入ればぽっかりと空間があって、やがて「ぼくらの部屋」と名付けられた。所謂、「基地遊び」である。毎日、秘密の部屋に通った。 ある時、団地の子がピカピカの昆虫図鑑を持ってきて、羨ましくてしょうがなかった。貸してほしいとしつこくねだった。しぶしぶ貸してくれた。念願かなって何度も頁をめくっていたが、程なく飽きてしまい、どこかにやってしまった。 数日後、その子のお母さんに呼び止められた。「借りたものは返さないといけないよね」決して怖くはないが、はっきりとした口調だ。しまった、あの昆虫図鑑のことだ。家に帰って探してみたが、見当たらない。手に汗が滲む。 急いで空き地へ走った。基地をよじ登り、中腹の「入り口」から身をくぐらせる。「ぼくらの部屋」へ降りて行く。中はぼうっと薄暗い。目を凝らす。昆虫図鑑は「ぼくらの部屋」の片隅で埃をかぶっていた。ほっと溜息が漏れる。でも、どうやって返そう。何を言われるだろう。このまま逃げ出したかったが、仕方なく、団地の方へ歩き出す。 勇気を出して呼び鈴を鳴らした。玄関灯がやけに眩しい。その光の中からお母さんの立ち姿が現れる。おそるおそる、図鑑を差し出す。それから何を話したのか、何を言われたのか、全く思い出せない。気が付けば、夜道を歩いていた。縦に幾つも並んだ団地の窓から明かりが漏れている。長屋の家も幼い記憶ももはや遠い。まるで漆黒の沼地に沈んで行くかのように。 基地のある空き地に一人冬木立 ほてる (以上) ◆「便船塚」:おおさわほてる(おおさわ・ほてる)◆ |
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