関西現代俳句協会

2018年1月のエッセイ

炉話のこと

宇多喜代子

 毎年の秋、母校の明春卒業の学生に「知っておくといい四季のことばとしきたり」みたいな話をしている。おばあさんの炉話と思うて聞きなさいと前置きをして話すのだが、教室を出る際にレポート提出が課せられているせいか、みな熱心でおそろしいような目をして聴き入ってくれる。後日、届けられるレポートには、ぎっしりと感想やら質問などが書かれていて、それを見るのが楽しみでもある。

 みな思っていることを率直に書き、話の捉え方、質問の要などにピントはずれがなく、なによりも誤字当て字がないのがいい。

 ある生徒は「短期留学でアメリカでホームステイをしたときに、日本では何を食べるの、日本にはどういうマツリがあるの、日本の年寄はどう過ごしてるの、なんて聞かれて答えられなかった」ということを書いていたし、 やはり留学先で着物のことをきかれて何のことだかわからなかったと書いていた生徒もいた。

 いまの日本で暮らしているかぎり、無理もない。朝はトースト、昼はラーメン、夜はトンカツとかコロッケとか肉ジャガなどが出る。さて、わたしが食べているのははたして「日本食」なのか何なのか、彼女らならずとも答えに困るだろう。着物にしても卒業式、成人式のほかは洋服用下着に着る浴衣、その程度である。

 そこで2、3年前から、日本食の基本は「ご飯と味噌汁、和え物に漬物、それに主菜として季節の野菜や魚介、さらには肉類料理がつく」ということをいい、旬の話をする。たとえ嫌いでもアホらしいと思っても、「味噌汁」だけは自分で作るようにしておきなさい、それも実沢山がよろし、という。すると味噌汁の実には何がいいですかなどと質問がありアレがいいコレがいいと盛り上がる。はたして何の勉強時間なのかわからなくなる。

 そんな中に、こちらがウームと答えに困る質問がくることがある。「どうして俳句歳時記の季節区分に〈新年〉という部があるのですか。新年というのは、春夏秋冬に並ぶ季節ですか」というのだ。季節ではないけれど、冬という季節の中の特別の行事だから、と「新年」の特異なところを伝えて返事としているのだが、じつは昨年からある講座で「明治五年の改暦」の話をしていて、歳時記が五季になった経緯をはなしたばかりである。話しながら、この五季が未来の歳時記にも必然性をもって残るかどうか、おおいに案じたところであっただけに、学生の質問には思案した。

 私など、もとより歳時記はフィクションだという意見であるから、項目を動かさずにそのまま冬の部に編入してもいいと考えているのだが、「正月」を「一月」と呼ぶようになった改暦後の歳時記で、しかも年神さまなど知ったことかというような騒々しい新年になってしまったいま、さて、新年の部はこののちどうなるのだろう。

 春には社会人となる学生を相手に、日本では着るもの、食べるもの、住まい、これが四季によって違うよと、子ども相手のような話か、かなり難しいことに話が及ぶことがあるが、じつは当世の話題や外国の情報など、それ何のことなのかと教えてもらうことが多く、つくづく私が今社会では落第生であることを自覚する。生徒たちは、なんにも知らないんだとあきれているだろうと思う。

 朝、眼が覚めると魂消るようなことが起こり、AIは身辺近くに手を伸ばし、世界が即時に繋がり、心身が時間のスピードについていけなくなる。そんな流れのなかで生きてゆく学生諸君に、おばあさんは炉話の締めくくりに、かならず「パソコンにスマホ、うつむいてばかりではだめです。たまには空をみなさいよ」ということにしている。

(以上)

◆「炉話のこと」:宇多喜代子(うだ・きよこ)◆

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