関西現代俳句協会

2017年11月のエッセイ

俳句と私

桑田和子

 私は50歳から俳句と俳画をはじめた。昔、人生50年と言われていたが、今は人生何年といえばいいのだろうか。新聞を読みながら、ああ50歳だ。仕事、子育て、習い事等、いろいろあったが、さて「私の生きた証は」とふと思った。これといって思いつかないのである。
 未だ少し仕事はしていたのであるが、そろそろ自分の為に何かをと思いたった。新聞の文化欄の「俳句と俳画」に眼がゆき、俳句は「青玄」の伊丹三樹彦に、俳画は薮本積穂に師事した。今までは無関係な分野で何の自信もない世界である。俳句の「いろは」が呑みこめず俳句らしいものが詠めるまで随分時間を要した。

 現在、私は「暁」俳句会に所属する。「暁」は俳誌「青玄」の後継誌である。「青玄」は昭和24年10月、日野草城により創刊された。
 創刊号の表紙には「俳句は東洋の真珠である」という言葉が添えられている。病床にあった草城は妻晏子の手厚い介護にもかかわらず、昭和31年1月29日、享年54歳の若さで生涯を閉じた。

 草城没後の「青玄」は昭和31年10月、伊丹三樹彦が継承し、平成18年1月・終刊号(607号)までの50年の永きに亘り心血を注いで主幹をつとめられた。しかし、平成17年7月、伊丹三樹彦は突如発病し、懸命の治療にも快復の兆しがみえず、やむなく終刊に至る。
 そして、終刊と同時に、新しい俳誌の出版は自由であるが、その誌名として、「青玄」の名称を使うことは禁じられたのである。「青玄」の多くの会員は俳句の拠りどころを失うことになった。そこで、終刊より一年後の平成19年1月、室生幸太郎ら発起人10名により「暁」を創刊した。
「暁」は<各自が自由な精神で個性を発揮する>ことを目指している。

 「暁」は今年10周年を迎え、平成29年4月14日には「暁・10周年記念大会」を大阪にて開催した。大会には、ご多忙の外部の諸先生方の列席を賜り、宇多喜代子先生の講演のほか、温かい祝辞をいただいた。記念号には復本一郎先生の「玉稿」の他、諸先生の「特別作品」を賜る。諸先生方に厚く御礼を申し上げる。創刊10年、対等で自由の精神を大切にしながらさらなる発展の年にしたいと思う。

 思えば、伊丹三樹彦の「青玄」に入会し、「関西俳誌連盟」常任委員となり、また「関西現代俳句協会」の事務局にも席を置いた。お陰さまで多くの俳縁をいただき、その間に、何と多くのことを学ばせていただいたことかと感謝でいっぱいである。今、「暁」の編集に関っているが、90歳の先輩は、「俳句だけが生きがいです」とおっしゃるのです。俳句はホームに入られても、入院されても出来るのです。紙と鉛筆があればできる。「暁」の同人の多くの方と交流し、一人一人の顔の見える俳誌でありたいと思っている。今、私の最後に残ったもの、残したいものは「俳句」です。そして「私の生きた証」としての句集を一冊だしたいのですが………。

(以上)

◆「俳句と私」:桑田和子(くわた・かずこ)◆

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