関西現代俳句協会

2017年6月のエッセイ

悪筆三銃士

藤本 晉

 テレビでよく記者会見のシーンを見る。大写しになった記者の膝元にはパソコンがあり、会見内容がたちどころに打ち込まれていくのを見るたびに、隔世の思いにとらわれる。僕の記者時代の最終盤にワープロ、続いてパソコンが登場し、悪筆でならしただけに、戸惑いもあったけれど、それ以上に喜んだ。

 昔、洋画を見ていて、記者や作家がタイプライターを駆使して、記事や小説を作り上げていくのを見てその姿に憧れに似た思いを抱いたものだ。その点、その頃の和文タイプライターは、机一抱えぐらいの大きさで、何とも不格好で、しまらない代物だった。日本語という制約上、当分、欧米なみの機材が取材現場に登場するなんて思いもしなかったし、むしろ、わら半紙と鉛筆一本ですむ記者の世界の気概を感じてもいた。

 何を隠そう、当時、百人以上いた社会部員の中で僕の悪筆ぶりも相当で、ときの部長から原稿を突き返されたことがあった。その不機嫌は、中身もさること乍ら、僕の拙い字も大いに関係していた。僕同様に字の下手な同僚の原稿に部長は「古釘を抛り投げたようや」と言ったのだった。なるほど、もっともな表現だなぁと感心したが、道具箱にある錆び付いた古釘を思い出して、悪筆の自分の心も大いに傷ついた。けれど、そのうちに悪筆仲間二人と語らって“悪筆三銃士”と居直ってしまった。その三銃士がたまたまある行政担当チームに入ることになった。当然、原稿をチェックするデスクたちは身構え、より慎重になったのだが、そのお陰か別段われわれの悪筆が原因のトラブルもなかった。自慢じゃないが、むしろ中身のある原稿を出稿したと自負したものだ。

 それより、そのチームの現場責任者のキャップ格だった僕には、もっと恐ろしい痛恨事の思い出がある。皮肉なもので、そのチームにはまるで活字なみの正確な字を書く記者がいた。その彼に担当でない部門の予算記事を書くよう命じ、それをキャップの僕もチェックして出稿したのだが、翌日の新聞に数字が一桁違う誤った見出しが出てしまったのだ。大恥の訂正記事を出し、勿論、責任も取らされた。筆者以上に落ち込んだ。彼が間違う訳がない、という思い込みと見事な字体の“魔力”に勝てなかった。いや、それは言い訳、まさに怠慢の結果だった。

 字体といえば、後に文化部長になって、作家、司馬遼太郎さんの生原稿を初めて見た時の感動が忘れられない。推敲を重ねて、一見、判りにくいが、人を引きずり込むようなやさしさに満ち、じゅんじゅんと説かれている気分にさせられたのである。そんなこともあって、四年前に始まった司馬遼太郎記念館俳句大会に参加し、素直な気持で正直に投句した句で、何と館長賞をいただいた。

    司馬さんの書体やわらか草の花       晉

 最近では、拙い字も自分の人格の一部であると思っているのである。

(以上)

◆「悪筆三銃士」:藤本 晉(ふじもと・すすむ)◆

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