関西現代俳句協会

2017年5月のエッセイ

「丹波百谷」俳句の今昔

大谷茂樹

 古くから丹波百谷とか言って、丹波地方には無数の小盆地が散在しています。
 そして、その1つ1つの集落には、今日も俳句を楽しんでいる人たちがいます。
 私が住んでいる北桑田地域でも俳句が盛んです。
 「山国自治会だより」 という町内会報の文芸欄には、毎回10人ほどの投句があります。
 今年の新春号の俳句欄には、身辺の様子を詠んだ次のような俳句が並んでいました。

    丹波路は雲厚き日々寒に入る    井戸町  大平 信子
    そそりたつ杉千年の初御空     
大野町  野尻 きみ
    風花の舞ひ散る夕べ里景色     
比賀江町 岡本佐和子
    初雪にまじりて小鳥の声にぎし   
比賀江町 杉本 ナツ
    いかに生く亡夫に語る寒の月    
比賀江町 新井 咲枝
    伝承の納豆餠食べ峡に生く     
塔町   田中  脩
    小正月お重に詰まる母の味     
辻町   藤野 治彦
    初山河飛び立つときは風に向かひ  
辻町   大谷 茂樹
    元旦や孫らと酒を酌み交わす    
小塩町  桑垣美恵子
    ガラス戸にリップ何色春着の子   
小塩町  大野ひろみ

 戦後すぐの時期にはもっと盛んだったようです。地元の俳人の小屋丹山氏の句集『杣の暦日』の「あとがき」には「昭和二十一年の十月、敗戦という現実に心の拠り所を失っていた私は、戦時のため中断していた句会が村に復活し、『金風社』として再出発したことを知った。早々に入会、眞継木天蓼先生の指導を受けることになった。」と記されています。

 また同じ宇津村の奥村秋葉さんの句集『稲の花』の「あとがき」には「昭和二十年八月敗戦という混乱に、静かな山村も人々もみな虚脱状態に陥り、何とかしなければと村の有志が集まり、俳句会が再開されました。夫の復員の報せのない毎日を気晴らしにと誘っていただき参加しました。当時は句会もさることながら、食料不足の折りとて稲の追肥の施し方や、季節の野菜の栽培方法などの雑談の中で学ぶことが多くありました。」と記されています。

 北桑田地域だけでもあちこちの集落で、まさに「燎原の火の如く」と言ってもいいほどの勢いで句会が立ち上げられたようです。
 宇津村の「金風句会」は、当時19歳の小屋丹山氏が資料を温存されおり、今日、私たちが知ることが出来る貴重な文献となっています。
 当時の会員は宇津村だけで35人の名が登録され、 7、8人が村の長老で、他のほとんどが20歳前後の男女の構成です。

 金風社第17回句会(昭和23年1月)
 兼題「初鶏」・「雪」・「かるた」 投句約200句中入選句数83句

    二羽のうち何れ初鶏奏でたる    選者吟  眞継木天蓼
    初鶏や暁未だ戸を漏れず           小屋 丹山
    此の雪に仮屋の女何を焚く          福井 蛍雪
    塗下駄に黄昏迫るかるた会          小森 んす
    戸締りに二人の立ちしかるたの夜       田中 初子

 金風社第18回句会(昭和23年2月)
 兼題「冴え返る」・「手袋」 入選句78句

    冴え返る事の待つある操作かな(寒天工場を想起して) 
                           眞継木天蓼
    手袋も遺品となりし今宵かな          奥村 秋葉
    礼拝を終へ冴え返る門を出づ          安井 茗渓
    穿いて見し母の手袋借るとしぬ         藤原夜野火
    手袋とマスク美しタイピスト          小屋 丹山

 これらの句を読んでいると、70年前の作品の世界が目の前に立ち上がって来る思いがします。

(以上)

◆「『丹波百谷』俳句の今昔」:大谷茂樹(おおたに・しげき)◆

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