関西現代俳句協会

2016年7月のエッセイ

弘前城の曳屋工事と甥の結婚式

綿貫伸子

 「現代俳句」4月号を開くと「列島春秋」(地区別現代俳句歳時記)の欄に掲載の

    十万石の天守動きて花万朶          牧ひろし

の句が真っ先に目に飛び込んできた。「列島春秋」解説の「春秋余滴」には弘前城と題して曳屋工事が写真入りで紹介されていた。

 昨夏、私はその弘前に行って来たばかり。当地は、ちょうど曳屋工事の話題のさなかであった。タクシーに乗ってさえ運転手さんがすかさず「お城へは行った?必ず見て帰って…」と声を掛けて来た。にも拘らず、私はそれを見そびれて帰って来たのだ。曳屋工事とは、傷んだ城垣を修復するのに真上にある天守を移動させること。工事の大切さの意味を本当に理解したのは、帰阪してからのことだった。テレビで度々ニュースになり、NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」にも取り上げられて、この工事は、失敗の許されない、極めて困難を伴う世紀の大改修であることを知ったのだ。テレビに何度放映されても、もし、あの時、地元弘前の熱気に触れていなかったら、これらのニュースを私はあっさり見過ごしてしまっていただろう。

 それはさて置き、弘前へ行ったのは、甥の結婚式に出席するためだった。話しは遡るが、私の父方の先祖は代々津軽地方、すなわち弘前の人だ。しかし、現在そこには親族が誰も居らず、お墓があるのみ。甥から招待状を受け取った時、式場が弘前の教会と知って、何故そんな遠くで、という思いがまず、頭をよぎった。本人たち新郎新婦はもとより、出席者は皆、関東、関西在住なのにと。話を聞けば、彼は、縁ある弘前に強い関心を持ち、よく足を運んでおり、しかも、今の若者には珍しく人一倍、先祖思いのタイプなのだ。

 式場は「日本キリスト教団弘前教会」という、東北最古のプロテスタント教会であった。明治40年に建てられた、双塔式ゴシック風和洋折衷の木造建築で、瀟洒な佇まいは百年余りを経た今も健在だ。実は、この教会を建てたのが甥の曾祖父(私にとっては祖父)。それを知った彼は、一も二もなく式場はここ!と心に決めたそうだ。当日は、信者さんが総出で、お花を飾ったり、準備を万端整えて下さったりしていた。牧師さんがお話で「本日は、この貴重な教会を建てた 齋藤伊三郎氏の曾孫さまがここで結婚式を挙げられ大変嬉しく思います…」と述べられたときには、生前、会ったことのなかった祖父がごく身近に感じられ、 有難さが身に沁みた。新郎新婦もとても幸せそうだった。

 披露宴も散会となった夕刻、普段なかなか会えない兄姉たち家族と、喫茶店に寛いだ。弘前には珈琲の美味しいお店がたくさんあるから…と甥から聞いていた。何でも、日本でいちばん最初に庶民が珈琲を口にしたのは、意外にも弘前の人々だったのだそうだ。それにつけても、みちのくの最果てにあって、キリスト教や和洋折衷の建物、珈琲の文化などの進取的気風が明治早々から、この城下町に浸透していったのは一体何故だったのだろう?この疑問を、真っ先に甥もまた抱いたようで、そんな事も、弘前に深く関心を持つきっかけになったらしい。

 この度、惜しくも見逃した曳屋工事ではあったけれども、先祖ゆかりの弘前城の大工事である。天守が元に戻される暁には、是非、見に行こうと思っている。

(以上)

◆「弘前城の曳屋工事と甥の結婚式」:綿貫伸子(わたぬき・のぶこ)◆

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