関西現代俳句協会

2015年6月のエッセイ

住み心地のよい雑居ビル

辻本冷湖

 「雑居ビル的俳誌」を標榜、創刊時から気ままに歩んできて25年。
 予想不可能な不幸な出来事と、些かの軋轢とを幾たびも経験しながら、平等という危うさの上で平衡を保っている俳句集団が「杭」である。決して安穏に過ごしてきた訳ではない。ただ、「杭」の理念が崩れずに保たれている事を誇りに思っている。

 ある会合での質疑に「〈杭〉は雑居ビルです。」と私は答えた。「えっ! 雑居ビル!」不思議に思われた方の為にご説明申し上げたいと思う。
 先ずは「杭俳句会」の理念から・・・。

 『杭』は超結社の集団です/セクショナリズムを排し/相互の連帯のなかに/各人の作風を尊重し/理解しながら /俳句文芸の/本質を探る前進集団を/形成しようとするものです。            俳句集団『杭』

 この〈理念〉に添って句会を開き、俳句同人誌「杭」を発行している。

 〈各人の作風を尊重〉だから、伝統俳句・現代俳句・口語俳句・無季俳句・自由律俳句、等々が、何の抵抗もなく混在している。
〈理解しながら〉だが、理解するためにはかなりの努力が必要で、互選互評の句会では、当然ながら大きなエネルギーを必要とする。
 一人一人が、自ら選んだ句に対して、皆を納得させる選評をしなければならず、一句を理解するまでの時間は半端ではない。理解不可能な句も偶にはある。その時は大変だ。意図的に難解な句を取り上げることもある。その句に対しての、それぞれの意見が飛び交うのを聞くのは実に楽しく頼もしい、その中から必ず何かを得ることが出来るのがこの上なく嬉しいし有意義な句会だと思っている。

 句会に特別な指導者もなく、言わば一人一人が指導者であり、誰もが気兼ねなく何でも言える、それが皆平等を謳う「杭」の大きな魅力だと思うが皆、自己責任で以って発表の場に立っている。

 「『俳句集団は雑居ビルであるほどすばらしい。』との祝辞もいただいたが、『杭』は、作風のちがった異人種のような集団である。それだけに魅力がある。お互いの作風を尊重し理解しながら、異色の同人誌として、手をつなぎあいながら五周年・十周年後の夢みる『杭』として育っていきたいものである。」 (杭第3号、東宏の巻頭エッセイより)。

 つまり、向こう見ずの態で現れた「杭」には創刊当時、激励やら、誹謗中傷やら、賛否両論の様々な言葉が殺到したが、「雑居ビル」云々は、その時寄せられた『俳句集団は雑居ビルであるほどすばらしい。』との祝辞が発端で、私が言い出したわけではない。
「杭」は、一癖も二癖もありそうな孤の集りだが不思議に悪人はいない。何故かひとの好さの際立つ人々の集りである。

 次は、25年前の創刊時に頂いた有難い祝辞・祝句の一部だが、創刊時を振り返るために記すことにする。

「杭は打たれることによって存在感があるとか。/打たれるのではなく、自らの意志で、/不毛の地へ一句を打つ―。くさる杭でなく、/光る杭 を―。」                            野ざらし延男

     杭打つ音 チンチン電車の音の秋          伊丹三樹彦

     新しき杭打たれたる初景色             藤本草四郎

     杭に触れ小春流水白泡す              岡崎進一朗

     少しゆがんで杭も私も立っている          津田 正之

 自由に作句し、自由に鑑賞し、結社の枠、表現の枠を超え、何ものに屈せず、媚びず、また驕らず、研鑽を積みながら前進する。それが「俳句集団・杭」の姿です。「雑居ビル」を「住み心地よい」として棲み続けている「杭」住人の心を理解するのは難しいでしょうが、難解なのが「雑居ビル」の住人なのです。

 創刊25周年にあたる平成27年5月。この時に、はからずも創刊時を振り返る機会を与えられたことを不思議に思い心から有難いと感謝しています。

(以上)

◆「住み心地のよい雑居ビル」:辻本冷湖(つじもと・れいこ)◆

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