関西現代俳句協会

2015年3月のエッセイ

それそれ神

辻本 孝子

 私は事ある毎に父から「世界広しと言えども孝子ほどの気楽トンボはいない」と言われてきた。その父は既に三十四年前に鬼籍に入った。二十年前に父のもとへ旅立った母は「それそれ神が付いていて下さるから」を口癖に、五人の子供を育て上げた。

 それそれ神とは、どの神様と具体的に特定するのではなく、時々の状況に応じてそれぞれの心の中に助け船を出してくれる神様の事だという。楽天家の私は、この母の口癖を余り深くは考えず、自分の都合で指針とし、時には実感しつつ過ごしてきた。

 しかし、最近になって「言葉の力」について、考える事が多くなった。そのきっかけは、平成二十年春の事であった。突然私を憂鬱に陥れる事態が持ち上がった。娘の難病発症である。彼女の一粒種はその時まだ四歳。前途を思い煩ってさすがの気楽トンボも目の前が真っ暗になった。

 塞ぎの虫大暴れのさなかに届いた「藍」七月号。そこには<「そのように考えてはいけない」を読みました。>から始まる花谷和子先生の随筆が掲載されていた。どのような場面に出会っても、引っ込んだり落ち込んだりするのではなく、すべてを感謝で受けとめたいと書かれていたのである。

 悲観的な想像ばかりめぐらしている私の心中を、まるで見抜いておられたかのような内容とタイミングであった。救われた思いがして幾たびも読み返した。

 今までも和子先生の句会でのお話や著書、作品等などで勇気と励ましを頂き続けてきた。俳縁と言う不思議な絆を日々深めていたのも、まさに私にとってのそれそれ神であったのだ。

    ひとつの言葉で喧嘩して

    ひとつの言葉で仲直り

    ひとつの言葉におじぎして

    ひとつの言葉に泣かされる

    ひとつの言葉はそれぞれに

    ひとつの命を持っている

 これは昨年末、家族と共に墓参に訪れた菩提寺の境内に掲げられていた言葉である。

 これからも一つひとつに命の宿る言葉に助けられたり、慰められたりしながら歩んで行く事だろう。そして私もまた、それぞれの言葉を大切に使っていきたいと思っている。

(以上)

◆「それそれ神」:辻本孝子(つじもと・たかこ)◆

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