関西現代俳句協会

2015年2月のエッセイ

十年日記

森田智子

    口紅の赤と十年日記買う   智子

 平成24年に発行した第四句集『定景』の巻末に収めた句である。十年日記を使っている。その1冊目は、何故か平成7年に始まっている。その1月10日に、夫との初旅に津山へ三鬼の墓参に行った。 その1週間後に阪神・淡路大震災で、JRで往復したその沿線一帯の甚大な被害に愕然とした。大阪の我木造家屋も揺れに揺れたが、物が倒れたり落ちたりはしなかった。そのあと、寺井谷子さんから見舞の電話をいただいた。どうしていたと聞かれて、智子は僕に掴まっていたと夫が言い、私は、弘を掴まえていたと言った。

 2冊目で、東日本大震災。近くのスーパーへ出掛けていて、レジの人がまだ揺れていると言うのを聞いて、地震があったのを知った。帰ってテレビをつけて驚いた。私は、その翌日から2人の妹達と、ソウルへ3泊4日の旅行を予定していた。このような大災害の時にと躊躇したが、既にスーツケースは羽田空港へ送ってある。旅行は催行されるというので行くことにした。

 翌朝の新幹線と東京モノレールは平常通り運行されていた。浜松町への電車が混み合い、ホームへの立ち入り制限で、階段の下に行列が出来ていた。20時発の大韓航空のカウンターにも長い長い列が続いていた。1時間遅れて満席で離陸した。後で分かったことだが、放射能を恐れての帰国が多かったようだ。ソウルのホテルでNHKニュースを毎晩深夜まで見ていたが、専門的な説明ばかりで、何のことか分からず、わざと分からぬように言っているのだろうかと言い合っていた。

 その聞に、福島原発が電源を失って制御出来ず核爆発を起こして、避難する事態になっていたのを知らずに、被災地ではまだ激しい余震の続く4日間を、この国では地震が無いとガイドの言う韓国に過ごしていたのだった。羽田空港内のあちこちに横になっている人がいて、非常時を強く感じた。羽田から伊丹へ帰る飛行機は予定通りであったが、隣席の子供連れの女性が、放射能が怖くて宝塚の実家に避難するところと聞いて、事態の深刻さを知った。埼玉に戻った妹から、スーパーから品物が消えて、朝に並ばないと買えない。特に、米やトイレットペーパーに困る人が多いと聞き、宅急便を送った。

 2冊目が平成26年で終わる。さて、3冊目で南海トラフの、なんていうのは困る。巨大化していく自然災害が恐ろしい。次を用意しようと書店に行ったら、今使っているのと同じ書館のもので五年日記が置いてあった。大分薄くて軽い。後期高齢になったことだし、これでもいいかと一瞬思ったが、5年というのは、現実の続きに見えてしまう時間。10年という向こうは自分の生死も分からぬ未知の未来があって詩があると思い直した。やはり十年日記。

 80歳を過ぎても元気な夫が、肺炎になって12月中旬に入院した。3冊目の十年日記は夫の入院中から始まるのかと思ったら、年末ぎりぎりになって退院出来た。新しい日記に、これからの10年が試される。

(以上)

◆「十年日記」:森田智子(もりた・ともこ)◆

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