関西現代俳句協会

2015年1月のエッセイ

十二月のスーパーマーケットで

宇多喜代子

 いつもは必要なものをパッパッと買い、そのまま帰ってくるのだが、昨日、あらためてスーパーマーケットの食品売り場を念入りに歩いてみた。魚売り場の魚の切身、切った野菜のパック詰め、おでんのダシ、肉じゃがのダシなどの用途別のダシ、和え物用の合わせ味噌やタレ、酢味噌、小口切りにした葱などが小奇麗に並んでいる。正直なところ、ここまでサービスしなくてもと思ったが、ここまで揃っておれば、仕事帰りの人たちはたしかに助かるだろう。と同時に俎板のない家が増えたという話もホントなのだと思ったことだ。

    大根の葉がありすこし落ちつきぬ   小浜杜子男

    白葱のひかりの棒をいま刻む      黒田杏子

 冬の野菜の代表である「大根」も、十センチくらいに切ってあるので、もとの大きさがわからない。どうせ食べないのだし大根の薬なんてはじめから邪魔だわというのであれば、葉の有無などどうでもいい。すでに刻んであれば葱の白い部分が「ひかりの棒」 になっていることなど、ついにわからぬままで過ぎてしまう。世の大方の軍配は、ひたすら早くて便利なものの方にあがってゆく。
 野菜以上に原形から遠い形で並んでいるのが魚。鯛も鰈も、鯖も鰯もきれいな切身になっていて、元の魚形はまずわからない。

 私の利用する私鉄の駅を出たところに、活気のある鮮魚店があった。鮮魚店というより、「町の魚屋さん」で、元気のいい売り声のおじさんとおにいさんが、旬の魚介をずらりと並べて商いをつづけていた。売り声に折々の魚の名を入れていたので、駅を降りてその声を開くだけで、「ああ、もう鰤の季節だ」「そうか、もう鰹か」などとその旬を認織したものであった。今も覚えているのが六十年も前の初夏、おじさんが浪曲師のような節まわしで「つの字の鱧やで」と言っていた声である。その頃、トロ箱はまだ木製で、その箱に「つ」の形におさまる程度の鱧が美味だというのだ。トロ箱を覗いて、ナルホドと納得した。
 去年、この駅前の魚屋さんは廃業した。いま、鯛焼き屋さんになっている。
 野菜や魚の原形などより、なにもかもが「早くて便利」になってしまえば、

    大鮟鱇触つてみれば女体かな      矢島渚男

というような句はもう生まれなくなるかもしれない。日々食べるものが、愚直なままで並ぶ姿はますます遠くなってゆく。

(以上)

◆「十二月のスーパーマーケットで」:宇多喜代子(うだ・きよこ)◆

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