関西現代俳句協会

2014年10月のエッセイ

平和と民主主義を守るために

古梅敏彦

 仰けから硬い表題で恐縮だが、止むに止まれず小論を叙したい。
 私の師は「俳句に関しては、政治的中立を保ちたい、多様な意見を持っている人達が集う句会では、個々人の意見を大切にしたいので、指導的な立場での政治的信条を前面に押し出したりすることは控えたい」と申しておりました。

 そういう意味から、師亡き後も、私も編集時には政治的な発言を控えて来たのですが、私が師と知遇を得たのは労働運動を通じてでありましたし、師は権力や資本に対してはアンタッチャブルで、信念を曲げない人でしたので、ことここに至っては、師の心を忖度して、言論弾圧、国民統制の元来た道へ逆行させない為に、何らかの意思表示をしなければと、今月の句会報の編集後記に次のような文を載せました。

    八月や六日九日十五日      詠み人知らず

という句があります。
 この句が何を表わしているかは、年配者ならすぐに分かるのですが、戦後生れの若者には何を意味しているか理解出来ない人が多いのです。
 この稿を書いている今日は奇しくも八月六日、これから九日、十五日と続く烈日の日々は、戦争に翻弄された日本人には忘れてはならない歴史の重大事を含んでいる日々なのです。
 俳人岸本尚毅は自書の中で、「俳句は『極楽の文学』だと虚子は言います。だからと言って逃避の文学ではありません。花鳥に遊んで慰安を得、心の糧を得、貧賤、病苦と闘う勇気を養うのだと虚子はいいます。人生には貧賤、病苦をはじめ、理不尽な出来事や、自分の力の及ばない運命があります。他方、ささやかな楽しみや希望もあります。このような人生を人は生き、やがて世を去ります。」と虚子の言葉を引用しました。私達も正しくこのような人生の真っ只中に生きています。
 私は虚子の言葉は概ね肯定しますが、貧賤、病苦の他に、国家権力の弾圧に抗する事や、さらに理不尽な事には、例え蟷螂の斧であっても立ち向かっていきたいと思うのです。

 ここで先述の戦争に戻るのですが、戦場で命を落とした人は勿論、銃後と言われ、家の柱を戦争に取られた家族が、艱難辛苦の内に亡くなった人々を入れると、とても400万人では済まないでしょう。その人々が流した血や汗、涙の代償として、成立させたとも言える「不戦、平和、平等、民主主義、基本的人権」等を高らかに宣言した日本国憲法が、いま資本の手先、戦争の悲惨さを知らない、また知ろうともしない、心無い浅薄な「安倍の坊や」やその一派によって蹂躙されようとしています。
 戦争前や戦時中、私達の先輩は、自由も人権も顧みられず、戦争に加担させられ、戦争を批判したり、国体に叛くとみられた者は獄に繋がれ、迫害、拷問を受けて、小林多喜このように獄死させられた者もいました。

 安倍政権は日本の社会を、その戦前、戦中の社会へ戻そうとしています。
 私達はこの事態を黙って見過ごすことは出来ません。
 本日、広島の原爆記念日の式典で広島市長は、「戦後69年間、平和憲法のもとに、どの国とも戦火を交えず来たことを大切にしなければならない」と、集団的自衛権行使容認を閣議決定した首相を暗に批判する文言を読みあげました。そして市長は核廃絶と平和憲法の精神を守るために全力を尽くすと力強く平和宣言を締め括りました。
 私達は子や孫に何を残せるか。ささやかな財産などではなく、自由に発言出来、如何なる勢力にも拘束されず、安心して住める社会を残すことではないでしょうか。
 戦後、いたいけな子供が、「お父さんやお母さん、爺ちゃん婆ちゃんはなぜ戦争に反対してくれなかったの」といったそうです。

 「秘密保護法案」をはじめ、「集団的自衛権行使容認など」、じわじわと外堀が埋められ、気が付いた時は戦前、戦中に逆戻りでは遅いのです。
 その為に、先ず国政は勿論、地方の各級選挙で安倍政権を支えている勢力を取り除くことです。
 戦後、多大の犠牲の上で、男女とも得た選挙権ですが、多くの人がその権利の行使を無駄にしているのではないでしょうか。
 元来た道に逆戻りさせない為に、今こそあなたの声が、具体的行動が必要な時になっていると思います。

 2014年8月9日 

(以上)

◆「平和と民主主義を守るために」:古梅敏彦(こばい・としひこ)◆

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