関西現代俳句協会

2014年2月のエッセイ

ある判決への怒り

吉田 成子

 昨年8月、名古屋地裁で行われたある民事裁判について、その判決に他人事ながら憤りを覚えた。

 報道によると、6年前に愛知県で91歳の認知症の男性がJRの線路内に入り列車にはねられた。男性は死亡したが、その事後処理などで列車が大幅に遅れたそうだ。この遅れによる損害賠償をJRが男性の家族にもとめた。判決では「常に目を離さず見守る義務を怠った」として約720万円の賠償を命じたのである。

 男性は重度の認知症で徘徊の癖があったらしい。世話をしていたのは当時85歳の妻で、その妻が居眠りをしていた間に外へ出たという。この妻による介護の実情を詳しくは知らないが、察するに昼夜気の休まることのない情況だろう。そんな家族への賠償命令に「なんと非情な判決!」と腹が立った。しかも賠償額の720万円はJRが求めた賠償額の全額である。認知症の介護に明け暮れた末に、720万円もの大金を支払わなければならないのである。家族にすれば冷酷きわまる判決と言いたいだろう。「JRもJRだ!」 と我がことのように憤慨している。

 実は私も高齢の母を見守る身である。母は現在100歳だが10年ほど前から介護付きの施設でお世話になっている。幸い認知症もごく軽度で車椅子の生活だから徘徊などはないのだが、その施設には認知症の人が何人も入居しているから世話をする職員の苦労を常に見ている。

 最も目が離せないのは認知の症状はあっても足が丈夫な人である。施設への出入りは扉のそばの暗証番号を押さないと戸が開かないようになっている。したがって勝手に外へ出ることは出来ないのだが、他の入居者の部屋へ入ったり、訪問者についてエレベーターに乗り込んだりするので、職員は気の休まる間もない。常に誰かが見張っていなければならない。

 施設なら何人もの職員で面倒を見るから、家族に比べると見守りや介護の負担は軽いだろう。それでも精神的な緊張感は大きいと言う。この実情を目の当たりにしているので、認知症の人を抱えている家族の日常は苦難の日々だろうと察する。 母が入っているような施設は年々増えているが、かなりの費用がかかるので経済的に入居を躊躇する人が多い。軽費で入れる老人ホームは入居希望者が何十人も待機しているし、重度の認知症は概して嫌がられるのである。大半の家庭が家族で世話をするしかないのが現実である。

 昨年末、読売新聞にこの裁判の判決に疑問を呈する記事が掲載されていた。それには「認知症の人と家族の会」 の代表が「介護する家族の意欲を消滅させる判決」との談話があった。全くその通りである。この判決を不服とする控訴が行われ、もっと思いやりのある再度の判決が下ることを祈る。

(以上)

◆「ある判決への怒り」(あるはんけつへのいかり):吉田 成子(よしだ しげこ)◆

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