関西現代俳句協会

2012年9月のエッセイ

法隆寺子規忌と斑鳩吟社

西谷 剛周

 斑鳩周辺の俳人が集まり、大正5年に結成された斑鳩吟社は、俳句結社として古い歴史を持つ。この斑鳩吟社が毎年行っているのが法隆寺子規忌で、東京の根岸、愛媛の松山とともに、日本三大子規忌の一つに数えられていたというが、今年97回を迎える。

 残念ながら大正5年の法隆寺子規忌の資料はないが、大正7年以降現在までの法隆寺子規忌の芳名帳が残っている。芳名帳の最初の表紙題字は、野田別天楼とあるが第何回法隆寺子規忌の表示はない。しかし昭和になってから第何回の記載があり、今年が97回であることが証明出来る。

 この法隆寺子規忌の前日には、高浜虚子が「斑鳩物語」を書いた夢殿の南側の「大黒屋」という宿で前夜祭が行われ、交通の便が悪かった大正時代から神戸や京都、大阪、伏見など近畿一円から俳人が詰めかけ、酒を飲みながら俳句論が戦わされたと先人から聞いているが、現在は行っていない。

 この子規忌芳名帳を見て驚いたのは、戦時中も一度も中断することなく、敗戦の1ヶ月後の昭和20年9月23日も、25名が集まって法隆寺子規忌をしていることである。俳句に携わる者の心意気が伝わって来るとともに、斑鳩吟社の一員として誇りに思う。

 この斑鳩吟社と倦鳥が、法隆寺境内に正岡子規の名句「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句碑を建立したのが大正9年9月17日。この句を詠んだとされる柿茶屋が老朽化で取り壊されたので、その跡地に松瀬青々の呼びかけで、当時のお金70円で建立されたのである。

 毎年の法隆寺子規忌は、子規の命日に近い日曜日に法隆寺で行われる。正午から重要文化財の法隆寺三経院で、法隆寺の執事長を中心とした数人の僧侶により正岡子規の法要が営まれる。仏壇には正岡子規と松瀬青々の位牌、歴代の法隆寺子規忌の選者・斑鳩吟社の物故者の氏名が記載された過去帳が置かれる。導師の執事長の読経が流れる中、参加者全員が一人づつ焼香し、その後、執事長の法話で締めくくられる。

 それが終了すると、向かいの茶所に会場を移し、俳句大会。選者による献句と当日句の選と選評が行われる。句会場の入り口には、松瀬青々直筆の「斑鳩唫社」の幡を掛け、床の間には、子規の遺影とレリーフを飾り、供花と共に蔓と花の付いた糸瓜と餡パンを供える。この糸瓜は毎年私が作っているのだが、今年は異常気象で大きくならない。

   待ち針で突かれるよに子規忌来る  西谷剛周

 今年も9月16日(日)午前10時から法隆寺境内の茶所で受付。献句者は120名を越え、献句数も380句を越えてこれまでの最高。当日の出席者も100名を越えると思われる。選者は茨木和生(運河主宰)、塩川雄三(築港主宰)、坪内稔典(船団代表)、林周作(斑鳩吟社代表)と私西谷剛周(幻主宰、斑鳩吟社副代表)の5名。事前の献句(1組、2句千円)をすれば当日の投句料は無料。当日だけの参加者は千円の投句料が必要だが、法隆寺拝観券(千円)と子規の好きだった餡パンが貰える。きっちり元が取れるので、日本で一番良心的な俳句大会だと自負している。

   長子より破水の知らせ獺祭忌    西谷剛周

(以上)

◆「法隆寺子規忌と斑鳩吟社」(ほうりゅうじしききといかるがぎんしゃ):

西谷 剛周(にしたに ごうしゅう)◆