関西現代俳句協会

2011年10月のエッセイ

「卯波」と若き俳人たち

乳原 孝

 きっかけは「俳句王国」だった。今から4年程前に、「俳句王国」に出させてもらう機会を得たが、収録前日の懇親会の時に隣に座っていた神野紗希さんと少し話をすることができた。私自身はテレビに出るようなタイプの人間ではないので出演には気が引けていたが、いつも新鮮な句を作る彼女に会えることは楽しみにしていたのである。話のなかで、彼女が銀座の「卯波」でバイトしていることを知った。

 それから何ヶ月か経って、彼女が話していた曜日に「卯波」を訪れてみた。私のことを覚えていてくれたので、感激して随分飲んだと思う。店主の今田宗男さんとも知己になれた。言うまでもなく、銀座の小料理屋「卯波」は鈴木真砂女のお店であったが、今はお孫さんの宗男さんが引き継いでおられる。

 「卯波」にはその後も訪れたが、お店は立ち退きのために平成20年1月に閉店となってしまう。落胆と喪失感の年月が続いたが、「卯波」は平成22年2月に元のお店の近くで再開。だが、私がネットで再開のニュースを知ったのは遅く、新店舗を訪れたのは平成22年の秋だった。神野さんにも久し振りに会ったので、記憶が無くなるまで飲んでしまった。

 その頃の私は、出張で東京に行くことが多かったので、月に一度ぐらいは「卯波」で飲んでいたと思う。そうこうしている間に、神野さんの知人で、俳句をする若い人たちとも、お店で少し話をするようになった。教員として大学生にはいつも接しているのだが、俳句をする若い人との接点はほとんど無かったので新鮮だった。新鮮であると同時に、私のようなおじさんにとっては若い俳人たちと話したり、彼らの俳句を読んだりすると元気が出るので、ここで少しだけ紹介させていただきたい。いろいろな賞を取ったりもしているので、ご存じの方も多いはずだが、私の特に好きな句を3つだけ選ばせていただいた。

*神野 紗希(こうの さき)。

 長年、「俳句王国」の司会をしていた。研究者への道に進んでいるので、早く大学の先生になって欲しい気持ちから、別れ際に論文の話とか、ついつい余計なことを言ってしまう。

   ひきだしに海を映さぬサングラス

   右左左右右秋の鳩

   青銅の馬が錆びるよ十三夜     (『新撰21』より)

*山口 優夢(やまぐち ゆうむ)。

 昭和60年生まれ。会った時は、大学院で惑星科学を研究していた。優秀な人だが、話してみると好人物。今年から新聞社の記者になると話していたが、甲府に赴任したらしい。

   あぢさゐはすべて残像ではないか

   夏暁や壁の集まる部屋の隅

   ちちははに少しおくれて初笑    (『新撰21』より)

*江渡 華子(えと はなこ)。

 青森県出身。久し振りにお酒の強い女性に出会った感じだった。関西の大学出身で、私の所属している結社にも属していた。

   夏萩や夜明けと闇にはさまれる

   荻吹きて秋は何歳なのだろう

   遠くには遠いものある蜜柑割く   (句集『光陰』より)

*野口 る理(のぐち るり)。

 4人のなかでは一番年下?で、みんなから可愛がられている気がする。「卯波」でバイトしていて、最近は一番よく会っている。

   手に載せて花種軽さ増しにけり

   浜木綿や雲の知り得ること僅か

   不知火の眠れば眠るほど近し

                  (俳句ウェブマガジン「spica」より)

 他にも「卯波」を愛する若い俳人はたくさんいるはずだが、今回は私の知っている4人だけにさせていただいた。なんでも神野さんのお父さんは私より1歳年下らしいから、私に彼らのような子どもがいても不思議ではない。そう考えると彼らが実に頼もしく思えるし、自分も頑張らねばとの気持ちになる。

 最近は出張が無くなったので、京都から「卯波」は少し遠くなったが、月に一度の宗男さん主宰の「卯波句会」には二度ばかり、泊り掛けで参加させていただいている。小上がりで、宗男さんのおいしい料理を食べながら、飲みながらする句会は実に楽しい。最後に、最近の「卯波句会」で評判の悪かった?拙句を一つ。

   半開の月半開の恋心    孝

(以上)

◆「『卯波』と若き俳人たち」(うなみとわかきはいじんたち):
                      乳原 孝(うはら たかし)◆