2011年5月のエッセイ軽暖と薄暑前田 霧人虚子は「軽暖」(けいだん)を初夏の季語として使っていますが、私は早春の季語と思います。と松田ひろむ氏よりのメールにあった。氏の編である『ザ・俳句十万人歳時記』と氏のブログ「鴎座俳句会&ひろむの広場」を参照すると、メールと同様の「軽暖」考察が述べられている。 「軽暖の候」は三月頃の「時候の挨拶」であるのに、『角川俳句大歳時記』などで「軽暖」が初夏の季題「薄暑」の傍題となっているのを、私も前から不思議に思っていたので、早速調べてみることにした。 先ず、虚子編『新歳時記』に「軽暖」はなく、稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』の「薄暑」傍題に「軽暖」がある。例句は次の一句である。 @ 軽暖の日かげよし且つ日向よし 高浜 虚子 次は『虚子五句集』(岩波文庫)であるが、季題索引で検索した「軽暖」の句は先の@と次のA〜Dの計五句である。「薄暑」の句、四句より多く、虚子にはお気に入りの季題であったようである。制作年代は昭和十五〜二十七年で、前書にある日付は何れも五月八日〜六月三日の初夏である。また、虚子自選『虚子句集』(岩波文庫)には、@〜Cが夏、五月、薄暑の項に掲載されている。 A 古袷著て軽暖にをりにけり 高浜 虚子 B 軽暖や坐臥進退も意のままに 〃 C 軽暖に病むといふ程にてはなし 〃 D 旅帰り軽暖薄暑心地よし 〃 「射人先射馬(人を射んとすれば先ず馬を射よ)」であり、先ず「薄暑」から調べてみる。「薄暑」の歳時記初出は大正期という類書が多いが、西村睦子『「正月」のない歳時記』によれば、初出は明治四十一年刊の今井玉三郎(柏浦)編『俳諧例句新撰歳事記』の「暑」(あつし)傍題で、例句は次の一句。私も同歳事記で確認した。 しろき蝶野路にふかるる薄暑哉 松瀬 青々 同句は明治三十八年の青々句集『妻木』所収。「薄暑」は南宋前期の詩人・陸游(りくゆう)の詩の一節「薄暑始リテ、春ノ已ニ去ルヲ知ル」から採られたもので、子規を驚かせた青々の漢詩文の教養が生んだ季題であるという。「春ノ已ニ去ルヲ知ル」であるから「薄暑」は初夏という訳である。 諸橋轍次著『大漢和辞典』(以下、『大漢和』と略記)を見ると、「薄暑」は「すこしの暑熱。初夏の気候。」の意で、「〔陸游、詩〕薄暑始知春已去」と先の漢詩が引用されている。「薄暑」がそうであれば、「軽暖」もまた漢詩文由来の季題であろうことは想像に難くない。 『大漢和』によれば「軽暖」は、@かるくてあたたかな衣服、Aうすあたたかいこと、の二意、時候季題であればAの意であり、引用漢詩は「〔王文治、沈華坪春江暁渡図詩〕梅花落後杏花紅、軽暖軽寒二月中。」である。『角川俳句大歳時記』で「梅」は初春・二月、「杏の花」は晩春・四月、「二月中」は二十四節気で「仲春」後半の「春分」、凡そ陽暦三月二十一日〜四月四日である。 即ち、王文治の漢詩は、季題としての「軽暖」が「梅花落後杏花紅」の「二月中」、仲春の陽暦三月下旬〜四月上旬頃であることを正に明示するものとなっている。 先の松田氏のブログの「軽暖」考察には高杉晋作の漢詩「遊小門夕棹舎」と菅茶山(かんちゃざん)の漢詩「偶成」が引用されている。これらには、何れも「軽暖軽寒」の語と共に「梅花凋落桜猶早(梅花は凋落し桜はなお早し)」あるいは「連翹花底坐敲詩(連翹の花底 坐して詩を敲す)」(「連翹」は仲春)の一節がある。これら「軽暖軽寒」と春花との取り合わせが示唆する季節もまた「仲春」なのである。 それでは何故、「軽暖」を初夏とするような誤謬が生じたのか。近現代歳時記の「薄暑」傍題には「軽暖」の他に「新暖」(しんだん)がある。年代順に『俳諧歳時記』(一九三三年、改造社)が「新暖」、『俳句歳時記』(一九五九年、平凡社)、『図説俳句大歳時記』(一九六四年、角川書店)、平井照敏編『新歳時記』(一九八九年、河出文庫)が「新暖」と「軽暖」、『角川俳句大歳時記』(二〇〇六年)が「軽暖」を傍題とする。 「新暖」から「軽暖」への推移が特徴的であるが、改造社版、平凡社版以外に「新暖」、「軽暖」の解説はなく、平凡社版も先の虚子の例句Cの前書に言及して、「新暖」「軽暖」ともに春ではない、と断じるのみである。 そして、解決の糸口は先の「薄暑」傍題における「新暖」から「軽暖」への推移傾向と、次に掲げる改造社版『俳諧歳時記』「夏之部」の「薄暑」解説にあった。 次はその近世季寄「改正月令博物筌」(かいせいがつりょうはくぶつせん)(一八〇八年、文化五刊)の「夏之部」にある「新暖」解説である。 新暖(しんだん) 四月の頃は日々にあたたかになる故新しき暖(あつさ)と 同季寄の「春之部」には「暖」(あたたか)が「長閑」(のどか)傍題にある。夏の「涼し」に対する初秋の「新涼」のように、春の「暖」に対する初夏の新しい「暖」で「新暖」ということなのであろうが、「暖」を「あたたか」と読ませたり「あつさ」と読ませたり、紛らわしい限りである。また、他の近世歳時記類に「新暖」の掲載はない。 そして、『大漢和』には「新涼」、「新秋」、「新緑」を始め、由来の漢詩共々に記載があるが、「新暖」の掲載はない。また、「暖」の字義に「あつさ」はない。「暖」の「名乗」(なのり)(名前に用いる訓)には「アツ」がある。 こうして根拠薄弱な「新暖」が安易に初夏の「薄暑」傍題とされ、類似の「軽暖」が原典を検証することなく、同じく安易に初夏とされたというのが事の真相ではないか。 本稿の「薄暑」、「軽暖」や「万緑」、「鞦韆」(しゅうせん)を始め、漢詩文由来の季題は多い。『大漢和』は季題検証の「伝家の宝刀」であると共に、季題発掘の宝庫でもある。 (以上) ◆「軽暖と薄暑」(けいだんとはくしょ):前田 霧人(まえだ きりひと)◆ |
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