関西現代俳句協会

2010年 6月のエッセイ

「浅田真央さんのこと」

雨村 敏子

 今春のバンクーバー冬季五輪での日本選手の活躍はまだ記憶に新しい。モーグルもカーリングもスピードスケートも面白かったが、中でもフィギュアスケートは五輪の終盤を大いに盛り上げてくれた。それぞれの課題を胸に晴れの舞台に挑んだ選手たちの緊迫した表情や心境が毎日のように報じられ、試合前から私はテレビに釘付けだった。

 その中で一際、浅田真央さんには惹き付けられた。彼女はどんな時でもどんな不躾な質問にも礼儀正しく、自分と自分の演技について客観的に分析し、穏やかな笑顔で応える。納得できない演技で悔しくても涙を拭いながら笑顔を見せる。弱冠十九歳にして見事な精神力だ。こんな対応がごく自然にできることが彼女が皆に愛される所以だろう。今回の五輪では、現役女子選手では彼女しか跳べないとされるトリプルアクセルを是非成功させたいという切実な思いが伝わってきた。

 果して、競技当日。超難度のトリプルアクセルを合計三回も成功させた。結果を恐れず自らの信念を貫き、跳んだ勇気に打たれる。

 この「五輪でのトリプルアクセル三回」は今年度のギネスブックに正式記録として掲載されることになったという。彼女は五輪で世界を征することは出来なかったが、トリプルアクセルと共に、菩薩顔といわれる彼女の内面を映し出すかのような表情と、伸びやかで美しい演技は多くの人の心を動かした。四年後にはトリプルアクセル以外の部分で努力も研究もして、更に進化した魅力的なスケーターとして表彰台の高いところからすてきな笑顔をみせてくれることだろう。

 ところで、俳句とフィギュアスケートとは一見何の関係もないように思われるが、共に制約のある中での自己表現と言う点で似た性格を持っている。前者は、一般的には、有季、定型、切れ字をその特質としている。一方、後者は、必須エレメンツ(ジャンプやスピンなどプログラムに入れるべき要素のこと)、演技時間、音楽などがその特質となる。いずれも自由ではない制約や規定の中で、自分の表現したいことを他者に伝えて行くという創造性が求められる芸術だ。「仮面舞踏会」の曲にのってイメージを膨らませながら息の詰まるようなステップ。また、ラフマニノフの重厚な大小の「鐘」の響きが交錯する様子を人間の体がこれほどの美を表現できるのかと思うほど描いて、観るものの心を奪う。故にジャンプの成否に一喜一憂しながら固唾をのんで、ぎりぎりの自己表現に挑む真央さんと白熱の時間を共有するのである。納得の演技を終えた瞬間の誇らしげな満開の笑顔に魂を揺さぶられながら。

 道のりは遠いが、俳句も解釈や鑑賞を抜きにして、魂を揺さぶられる句がいい句なのだろう。

  夏至金色夏至の大日如来なり   省二

  青蘆の神髄に触れゐたるなり    将夫

  尾花沢音霊と言ひ涼しかり     敏子

  形代をのせ水の輪の流さるる   〃〃

(以上)

◆「浅田真央さんのこと」(あさだまおさんのこと) : 雨村 敏子(あめむら としこ)◆