関西現代俳句協会

2010年 2月のエッセイ

俳句は夢か幻か

小野田 魁

 古代にあっては、夢そのものはもとより、夢の話や夢解釈も神の業とされていた。最古の夢文献は紀元前七世紀アッシリアの首都ニネベ最後の偉大な王アッシュルバニパル王陶板絵図の中に発見された夢の記述であるという。

僕にも七十余年の間、くり返し繰り返し見る夢があって、その夢が始まると最近は何か安堵して、「ああまたか」と落ち着いて、腰を据えてその夢の進行にわが身を委ねてしまう。その夢とはしごく単純で、もう独りの僕ソックリな「ぼくB」に逢ってしまうと言うことなのだが。

夢の背景は同じような場面であることもあるが、夢の中にも起承転結があって、それが微妙に変わってくるのが不思議だ。

どこか覚えのある山の尾根筋でボッカのアルバイトをしていたら、後ろにいたのが「ぼくB」。無数の坊、その間を結ぶ曲がりくねった回廊。そこをトツトツと小走りに走っているのが「ぼくB」であったりする。最初のうちは夢と現実の区別が付かなくて、「ぼくB」に口をかけても、いつまでも頑固に黙っていることに緊張と焦りを強いられたこともあった。それでも不定期ではあるが、そういった夢との出会いは律義に二カ月置きとか、一年のご無沙汰があったりはするが、茫々のほの暗い夢の中での密会?は、おそらく五十年間は続いていて、いつの間にか心待ちにしている僕自身に気が付いている。

悪夢ではないが非現実であることは事実だ。人にこの夢の意味合いを尋ねると「満たされない願望」とか、「自己分裂の不安」とか、酷い奴は「一度摩り替わってみたら」と、応えている本人も判っていないような返事が返ってくるので、癪に障る。では専門家ではどうだということで、スイスの精神病理学者ユングなら、ヒントの一つでもあるかと思って、町の本棚を漁っていたら、この大天才は「幼児期に見た地底世界の王座に聳え立つ巨大な男根の夢を解くために、その生涯を捧げた」と井上ひさしが本当らしく書いているのを読んで、恐れを振るって夢の解釈を無理に判じることは止めた。

 この頃は不思議なことに夢の中での限定であるが「ぼくB」にだんだんと今までに無い親近感が沸いてきた。特に気に入っているのは、僕と同じように年を取っていくことだ。

「ぼくB」のあちらの世界は、まったく理解は出来ないが、この世と同じで時間は動いているのかも知れない。尋ねてもやはり返事は返ってこない。いつもと同じだ。

あの、芥川龍之介も随筆「夢」の中で書き記している。

『−前略−最後に僕は夢の中でも歌だの発句だのを作っている。が、名歌や名句は勿論、体をなしたものさえ出来たことは無い。そのくせいつも夢の中では駄作ではないように信じている。僕はこれも四五日前に夢の中で佇んでいた。そこには何れも田舎じみた男女が大勢佇んでいて、その中を小さいお神輿が一台ワッショワッショと担がれていった。僕はこういう景色を見ながら、一生懸命に発句を作り、大いに得意になったりした。しかし後に思いだしてみると、それは無残にもこんなものだった。

  「お神輿の渡を見るや爪たちて」 』

 この発句が芥川本人の言うように無残な駄作なのかどうかの判断は僕にはつかないが、夢の中での花鳥風月人事を俳句の題材にはしないで置こうと思っている。また、どんなことがあっても「ぼくB」に、五・七・五だけは尋ねまいと心に誓っている。もしかして、返事が返って来たらどうする。

(以上)

◆「俳句は夢か幻か」 (はいくはゆめかまぼろしか) : 小野田 魁 (おのだかい)◆