関西現代俳句協会

2009年 7月のエッセイ

「京都東山点描」

西川 吉弘

 私がこれまで、最も数多く訪れた寺は清水寺である。1200年余りの歴史を有するが、 創建以来何度も火災等に遭っている。現在の本堂はそれでも再建から400年近くが経過 している。いわゆる清水の舞台という壮大な柱組は、創建当時から同じような姿であった という。この一点でも見る度に大きな感動を覚える。舞台の高さは11メートル余りとの ことであるが、私にはもっと高く思える。この舞台からの京の眺めは、まさに絶景であり 何度見ても飽きることがない。舞台の上からの眺めとともに、下からの眺めも好きである。
  人間の知恵とか気概は、昔の人のほうが偉大ではなかったかと、いつも思う。本堂には千 手観音をはじめとして有名な仏像が多く祀られているが、私は本堂の北側にある千体仏を 見るのが好きだ。元々は千体も無かったらしい。明治維新のころから廃仏毀釈の影響で、 京都の各地から持ち寄られた結果、今の千体になった。まさに庶民の信仰心がそこにある。


    手びねりの壺のある坂涼しけれ


  産寧坂をゆらりと下って、高台寺その他の歴史の匂いたっぷりの寺々を眺めながら、円 山公園に辿りつく。公園の東の端に坂本龍馬と中岡慎太郎の像が立っている。幕末から維 新にいたる時点で、新しい国家像を具体的に持っていた人は、殆どいなかったように思う。 数少ない一人が坂本龍馬である。「船中八策」には近代的発想が満ち溢れている。もう一人、 幕臣としての勝海舟がいる。この人物も、地に着いた日本国としての構想と、時代を見通 せる眼力を持っていたと思う。この二人の国家構想は日露戦争までは何とか維持されたも のの、その後は消滅に向かい、やがて太平洋戦争に至る。


   糸とんぼねねは尾張をふと見やり


  紅葉で知られた永観堂から銀閣寺にいたる約2キロメートルの、琵琶湖疏水沿いの道が 哲学の道と呼ばれている。春の桜や秋の紅葉もいいが、私は人の少ない時期に行くことに している。桜の散った後、梅雨のはじめとか、雪のちらつく冬がいい。ほとんど人は通ら ない。その名の通り一人で物思いに耽ることができる。時折、上品そうな年配の女性が、 犬の散歩のお供していることがある。哲学の道では、雑種の犬は見かけたことがない。


   走り梅雨媼行きかう疏水べり

 余談ながら、女性はすべからく「強き者」と信じているが、京都の女性は殊の外、強い と思う。「娘たちよ自活せよ。気力と職業を持て。よい仕事ができる女にはいい男がついて くる」田辺聖子がこのように36年前に言っている。今、勝間和代が同じことを言っている。

以上