関西現代俳句協会

2009年 2月のエッセイ

「2008年12月7日という一日」

小俣英之助

 日曜日でしたが何やら気ぜわしい時を過した。朝日生命ホールで 午前11時30分から、僕の孫達が習っている教室のピアノ・コンサー トがあり。それぞれ、ドイツ曲の「かえるのうた」、ティアベリの 「ソラチネop.153-3 第一楽章」、モーツアルトの「ソナタK13-31第三楽章(トルコ行進曲)」、そしてラフマニノフの「プレリュー ドop.3-2」、ショパンの「基礎ポロネーズOP3」を暗譜演奏した。 そして作曲サン・サーンス、詩・谷川俊太郎による音楽物語「動物 の謝肉祭」の詩の朗読。はじまり を三人で、次に「ライオンの王様」 を、「かっこうのゆうれい」を、終りに「まんもすの骨」を詩い、 それらの詩の伴奏もそれぞれ孫達がつとめ、「ライオンの王者の行進」を、「森のかっこう」を孫の三人が「連弾」でまとめた。

 僕は朝日生命ホールを出て、タクシーをひろい、午後3時から開 かれる国際会議場での現代俳句協会の方々の出版記念会会場に急い だ。関西俳壇の矜持と申しても過言ではない人々のお姿が、そこに お揃いでした。凡そ2時間の皆さんのスピーチを拝聴し、つづいて、 別室で忘年会が開かれ乾杯があって、予定の時間午後七時まで時間 を過した。不易流行そのものの時が流れた。さそわれるままに二次 会にも列席し、皆様のご高見をたくさんお聞かせいただいて、8時30分頃ようやくホテルバスにのって帰路につくことが出来た。

 思い起こしますと、12月7日は第二次世界大戦の宣戦布告のなさ れた前日に当たり。不思議なことに、そのことはどなたからも一言 もなく、六十七年も過ぎれば遠いかすかな記憶となるような時の魔 性を感じた。憶えば神国であることを国民学校のとき以前から教え 込まれ、「護国の鬼」となることが男子一生の目的であらねばなら ないとした教育がなされ「人間が人間を殺し合う」ことを正義とす る、戦争是認の日本があり、今の社会が子供達の時代に再びあって はならないことを再確認した。元来ヒト科ヒトは、知力・品格・理 念・哲学・詩 心・などの高貴な精神性をもたなかった暦史が途方も なく長かったせいか、寛闊なまなざしを、うけることも、むけるこ ともなかったのではないかとの疑念をもった。

 幸い僕はA氏にすすめられて「俳人九条の会」に入った。小田実・ 加藤周一・大江健三郎等の輪が世界に拡がって、戦争のない世界の 創造に役立ちたいと思う。1941年12月7日という日に、大日本帝国 軍は昭和天皇の宣戦布告の命令に従って、奇襲作戦と呼ばれる戦術 を以って。真珠湾のアメリカ艦隊を急襲して大戦果を挙げたことが 12月8日の宣戦布告と同時に大本営から発表され、11才の僕は、日 本は強い国だと教育されて来た事が事実となったことを知ったので ある。

 その戦争に完敗して63年がたち現在の日本は戦争を知らない人々 が、再び日本神話の無謬性をかつぎだす気配すら見えかくれしてい る。人類の平和を愛した人々は北極星となってそのことを見つめて いるに違いない。これからも繰りかえされるであろう開戦記念日に は、人間が人間を殺し合う戦争を憎悪し嫌悪する世界の良識ある 人々とゆたかなく交流をもち「リメンバー・パールハーバー」と「ノ ウ・モア・ヒロシマ」を「ノウ・モア・パールハーバー」と「リメ ンバー・ヒロシマ」と置き替えて戦争の罪禍を世界の人々に深く理 解していた だけるような句作を続けたいと2008年12月7日はつく づく自分に言い聞かせた。世界の子供達を絶対に戦争の被害者にし

てはならないと再認識した。

(以上)