関西現代俳句協会

2009年 1月のエッセイ

「越前大野と雪」

高橋 将夫

 昭和38年、越前大野(福井県大野市)が豪雪にみまわれた。さんぱち(38)の豪雪として鮮明に記憶に残っている。この時、道路は積雪と屋根から下ろした雪で山のようになり、家へは2階から出入りしていたのが思い出される。雪卸も大変だが、後の始末がこれまた大変。当時、家の横手には溝川が流れていて、そこへ雪を運んで捨てるわけだが、町中の家が一斉にやるものだから川が詰まって浸水状態になった。庭へは2階の小屋根から出て、家の際の雪を庭木の根元の空間や遠方へ投げて、山をくずした。高校生で元気はあったものの、この肉体労働はさすがにきつかった。

 越前大野は北陸の小京都といわれ、名水、朝市、小芋で知られている。私はこの地に生まれ、十九歳のとき名古屋の大学に進学し、大阪で就職したけれど、これまで盆と正月にはたいてい帰省していた。越前大野はもともと雪の多いところで、平年でも二度や三度は雪下ろしをしたものである。正月に帰ると大抵は雪があり、よくスキー場に行ったものだ。ところが、いつごろからか雪のない正月が多くなったと感じるようになった。民宿が多く、リフトなどの設備投資もあるから、正月に雪がないのはスキー場にとって痛手だなと思ったりしたものである。もちろん、雪が少ないことはそこで生活する人たちにとって大変ありがたいことである。しかし、たまに帰る人にとって雪のない正月はなんとなく淋しいものである。

 就職して3年目に故郷転勤で福井の支社に移り、5年間勤務した時期がある。最初は大野から通勤したが、後半は福井の集合社宅に入居した。朝の道の雪掻きは妻がやってくれた。しかし、大阪から嫁いできた妻にはかなりきつかったようだ。大阪へ戻ってから「老後は大野の田舎でのんびり暮らすか」と冗談交じりに言ったら、にべもなく拒絶された。やはり雪掻きが相当こたえたようだ。

 雪には他にもたくさん思い出がある。小学校のときの雪中遠足は楽しい思い出の一つ。根雪になると一面の田んぼが一枚の雪野になる。寒に入ると雪は凍みて、その上を歩いてもごぼらなくなる。他の季節なら歩けないルートが歩けるのだ。まぶしい光をあびて広い雪原を歩くのは実に爽快であった。

 「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」…有名な川端康成の小説「雪国」の冒頭の一節。舞台は越後湯沢であるが、越前にも同じ光景を見ることが出来る場所がある。雪のない敦賀を過ぎて北陸線トンネルを抜けたとたん、眼前に一面の雪景色を見ることが何度もあった。まさに、トンネルを抜けるとそこは雪国である。

 最後に、話を正月の雪にもどそう。先に「いつごろからか雪のない正月が多くなったと感じるようになった」と書いたけれども、これはどうやら近頃問題になっている地球温暖化のせいらしい。ともあれ、地球を大切にしなければと改めて思う。そして、正月に帰ったときはぜひ雪を見たいものだ。

 雪道に雪が積つてゆきにけり  将夫

 本当は雪がきらいな雪女

 雪しまき炎心しづかなりしかな

(以上)