関西現代俳句協会

2006年8月のエッセイ

〔覚書集「青滴」より〕   

          宇都宮滴水 

  愛はその動的機能作用に従って「エロス愛」と「アガベー愛」とに二分される。両者は全く相反する動的作用を示すものである。

 エロスはプラトンが言う「愛」である。即ち、卑近な官能愛から出発して、高度な真善美の価値を志向するところまで昇華する、範囲の広い愛である。プラトンは真善美のイデアの世界へのあこがれと追求をエロスと称した。即ち、現に学問、道徳、芸術の発展はエロスの然らしめるところであって、人間が日夜努力しているそのことが、エロスの現れである。向上愛エロスはイデアを志向し向上を続けるのである。

 そして、ついには完全者たる神や仏を信愛するのも、エロス愛に他ならない。

これに対して、アガベー愛がある。キリスト教における「神の愛」と言われるもので、愛される資格のない人間を救おうとする神の無償の愛である。

 では俳句は、その持つ文学的意義から見て、エロスであり、アガベーであると言えるのではなかろうか。と思った。

近作7句 青噴水

 光陰のどこかが緩む牛車音

 紋ひとつ汚し義理欠く黒揚羽

 夏ひばりはぐれし雲を呼むでゐる

 根元より日暮来てゐる蟇

 夏おちば白州の縁をなほ余す

 望雲の池ともなれり花萍

   考へる人にいちべつ青噴水


                                           以上

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