関西現代俳句協会

2006年2月のエッセイ

「小さな見舞客」

石川日出子

  お昼前、そろそろNさんのお孫さんが現れる頃だ。ベビーカーから降ろされ、約束なのだろう、冷蔵庫からアイスクリームか何かを取り出しベッドの上に座って食べ始める。それを見守っているNさんの表情が楽しそうだ。終わると馴染みになった私に向かってヨチヨチ歩いて来る。

 一歳を過ぎたばかりのYちゃんは、日々成長し、トットットッと走るよう。今にも転びそうでハラハラするが、しっかり踏んばって、80cmほどの身丈を深く折って“こんにちは”のお辞儀をしてくれる。体調の好い時は、私も急いでベッドから降り、小さく屈んでお辞儀を返す。

 未だ何も話せないのに、或る日、トイレに入っている私を察知し、入り口の横にぴったり身を寄せて待っていてくれた。いじらしくて涙が出そう。睫が長く眼がキラキラ輝いてその笑顔は最高。カメラを持ち出しパチリパチリと収める。

 Nさん明日は退院という。お別れの握手を求めて人さし指を出すと、Yちゃんは小さな五本の指で、しっかり握ってくれた。

 大きくなーれ 大きくなーれ 大きくなるな。

  思いもかけぬ腎臓病<原発性ネフローゼ症候群>、放っておくと透析に、果ては腎不全に陥ることもあると、入院を勧められた。散らかし魔の私は、机上その他「触らないで」の貼り紙をして、あたふたと入院したのが5月下旬。8階の窓から左に箕面の山々、右遠方に生駒山、正面の千里中央のビルやマンション。夜景はホテルみたいに美しいと喜んだのは束の間。腎生検−24時間連続の輸液点滴−ステロイド等の服薬−副作用−後遺症に悩まされた。ストレスからの神経症−予想外の事件は貧血から失神し、寝たきりの体験もした。

 病室では、病名も年齢も性格も違う、全くの他人だった四人が、次第に打ちとけて語り合い、その家族や見舞客を通しても教えられる節があった。

 入院4ケ月、退院後4ヶ月。何とか杖無しで歩けるようになった。 人間の幸せとは、今、真剣に夢中になれる何かをもっていることではないかと思う。それは、学歴・地位・財産より大切なもの。

 昔、病気の赤ん坊を抱き、財布を掴んで医者へ走ったことなど、その時期にしか味わえなかった子育ての楽しさの前に吹き飛んでしまう。

 今、少子化対策が問題になっている。貧乏でも温もりのあった家庭も減っている。政治家も親も、経済が先行するらしい。

 春近く、私は体内の病の鬼を追い払わなくてはならない。  

  牡丹の芽護られている不安かな       日出子

  寂しくはないかと問われ歩き出す    〃

  雨の鴉今日は何日何曜日        〃

句集『道』より

(本文及び俳句の表現で、ふりがな表示が括弧書きになっているのは、インターネット・システムの制約のためです。ご了解ください・・・事務局)