2005年12月のエッセイ島めぐり中井不二男 「智者は山を愛し、仁者は海を愛す」とは誰のことばだろう。こうして足弱の仲間と島めぐりをはじめたのはいつの頃からか…。手始めに、一年380日雨が降るといわれる屋久島に出掛けることになる。1999年春のことである。 屋久杉の継ぎきし春を手繰りいる 山本 千之 千仭の滝春雷を育てゐる 増田 耿子 ななかまど屋久は激しく芽吹きおり 中井不二男 などの句ができた。 この旅が私たちの旅心に火を点けた。続いて佐渡、隠岐、壱岐・対馬、五島列島と続く。歴史的にも、風俗的にも、さらに宗教的にも、それぞれ独自の文化を育てながら、現代に生きる島々の生活…。その断片にごく僅かに触れることに、どれだけの意味があるのか判らないが、懸命に理解し、感じ取ろうとするそんな努力が僅かながらでも酬いられるのが、作品だと思う。 同じ年の一粒・立冬号には早くも佐渡遊記と題する増田耿子のエッセイが掲載されている。佐渡の印象の最たるものは海への落暉である。 ひぐらしを佐渡の陽海へ落ちるなり 山本 千之 海に陽の落ちて蜩遠からず 増田 耿子 2000年の8月には隠岐に遊んでいる。隠岐は後鳥羽上皇、後醍醐天皇配流の島である。その上、公郷、学者、僧侶、武将などの隠岐への配流は江戸まで続いた。それらの人びとの悲史を繙きながらの旅、一木一草にいたるまで、曰くありげな風情である。 牛突きの空に罅入る蝉の島 中井不二男 2001年の8月には壱岐・対馬の旅を経験している。韓国に近い島々に雨森芳洲の治績をたどりながらの旅である。壱岐も対馬も本州の離島という感覚はない。韓国との狭間に揺れ動いた歴史の申し子的な存在という方が私の感覚には近かった。 合歓咲けば韓は近しと走り出す 山本 千之 夏草の島に筆擱く曾良日記 尾崎 青磁 人の裔昼顔の海をゆく 増田 耿子 卜筮の島空蝉の昔より 中井不二男 2002年には五島列島の吟行が入っている。一粒の24号に尾崎青磁氏がそのことを報告している。福江島に上陸、島内の切支丹の旧跡を中心に歩いた。迫害したものと迫害されたものの子孫が共存する島の不思議な融合が私たちを不思議な感覚に仕立てる。福江島に限らず、五島列島のあちこちに散在する教会ほど私たちを罪の意識に駆り立てるものはない。島陰に隠れるように建てられた教会、その代表的なものが頭ヶ島教会であろう。躬を賭して信仰を守った人びとの血や膚を焼く匂いさえ感じられて、厳粛な感傷に駆り立てられたのは私だけではなかったろう。 秋落暉朱の匂うまで殉教す 山本 千之 磔刑の聖者や島の花芙蓉 増田 耿子 天金の聖書は厚し酔芙蓉 鈴木 達文 遣唐使汲みし井戸あり雁の声 尾崎 青磁 漣を化石にしたる秋の潮 中井不二男 まだまだ島々は私たちを待っていてくれるが、こちらの方は資金と体力が続かない。 私の句集「燠火」について、鈴木六林男先生は『吟行句をもって構成されていますが一番困難な方法を選んだことになります。』と評されているが、いつも自分の句は未完成だと思っている。それだけに俳句でも詩でも、その最も難しい方法を今後も続けようと考えている。 以上 (本文及び俳句の表現で、ふりがな表示が括弧書きになっているのは、インターネット・システムの制約のためです。ご了解ください・・・事務局) |